近年では歌手や俳優だけでなく、実業家やジャニーズ事務所の取締役も務めるマッチ(Matchy)こと「近藤真彦」さん。
そんなマッチさんには、たった一人の弟・近藤広之さんがいるのですが…
実は、弟の広之さんは過去に覚醒剤取締法違反で逮捕されたことがあるのです。
名前:近藤真彦(こんどうまさひこ)
生年月日:1964年7月19日(54歳)
職業:実業家、会社役員、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー
所属:ジャニーズ事務所
レーベル:Sony Records
出身:神奈川県大和市
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マッチさんの弟・近藤広之さんが覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕されたのは、1991年2月16日の午後11時過ぎのことでした。
神奈川県厚木市下荻野の友人宅で、広之さんはビニール袋に0.6グラムの覚醒剤を不法所持していたのです。
また、広之さんの腕には注射の跡があり、本人も覚醒剤を射っていたことを認めたため、同使用容疑も重なり、逮捕後は横浜地検川崎支部に送検されました。
ちなみに広之さんは、1989の3月にも横浜・港北署に覚醒剤使用で現行犯逮捕されており、この時が2度目の不祥事だったのです。
事件が発覚すると同時に、新聞を始めとして各マスコミには「マッチの弟!覚醒剤所持で逮捕!!」の大見出しが躍りました。
広之さんが送検された2月20日、マッチさんは三重県の鈴鹿サーキットでF3の走行練習を行っていたのです。
これは3月2日と3日のF3レースに出場するためのものだったのですが、駆けつけた報道陣にマッチさんは終始無言で通しました。
実はこの時点では、マッチさんには事件の詳しい内容が把握できておらず、レース関係者に迷惑をかけてはいけないという配慮もあったと言います。
22日には、1991年夏に発売予定だったアルバムのレコーディングを行なっていた東京・信濃町のCBSソニースタジオであらためて会見に応じました。
濃紺のスーツ姿で報道陣の前に現れたマッチさんは、固い表情のまま、一礼して席に着いたのです。
そして、
こういう席には本人である僕の弟・広之が出て来て、皆様にお詫びしなければいけないんですが…
と、静かに話し始めました。
今回、こんな事件を起こしまして、僕は悔しさと怒りの気持ちでいっぱいです。
と語るマッチさんは、さらに
たった2人の兄弟なので復帰した折には、親父と僕と2人で厳しく復帰を見守りたい。
とコメントしたのです。
マッチさんの家族思いは有名で、1987年に母親を交通事故で亡くしてからは、父、祖母、 広之さんと、残された家族の絆を人一倍大切にしていました。
だが、忙しいスケジュールに追われる中、それは容易なことではなかったのです。
僕がデビューしたのが11年前ですから、弟は12歳の頃から「マッチの弟」と言われ続けて、良いことも、悪いこともたくさんあったと思う。20歳の成人式を迎えた時にも、すでに僕とのギャップもあり、ハンデを抱えてのスタートだったのでは…それを相談しようにもオフクロは亡くなっていた。僕も親父もオフロク代わりはできなかったし、良い兄貴にもなってあげられなかった。
と語りました。
母親が事故で急死した際、病院に駆けつけて、涙を流し、オロオロと途方にくれるマッチさんと父親を見て、親戚に電話で知らせたのは弟の広之さんでした。
マッチさんいわく、弟の広之さんは自分よりも余程しっかりしていて男っぽいのだと言います。
また、マッチさんが大阪の新歌舞伎座で1カ月公演を開いた際には、両親それぞれの2人のおばあちゃんに舞台を見せるために、大阪まで連れてきたのも広之さんでした。
マッチさんも、「何せ年寄りだから大変だよね。新幹線ホームの階段を上がる時なんて、もうスロービデオみたいなわけよ。それを右と左にふたり連れて、引っぱってきたんだから疲れるよね」と語っていたのです。
こんな心優しい弟の広之さんを事件に追い込んだのも、全てはスターとしての近藤真彦というの存在だったのだと、マッチさんは自分を責めていたのかもしれません。
母親の遺骨が基所から盗まれるという事件が起きた時にも、マッチさんは「僕が有名人だから、こんなことが起こったんだ」と父親に土下座して謝ったと言われていました。
会見では弟・広之さんを強い口調で責めながらも、弟の更生にに力を注ぐと語ったマッチさん…
きっとマッチさんには、華やかな世界に身を置く自分が弟をそんな行為に走らせという思いがあったのでしょう。
全国の皆さんに深くお詫びしたいと思います。
そう言ってマッチさんは最後に深々と頭を下げて会場を後にしたのでした。
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