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石野真子と長渕剛の離婚原因は「君と僕が見た空は高かった」?!




 

日本を代表するシンガーソングライターの「長渕剛」さんと、歌手で女優の「石野真子」さんが婚約・結婚を前提に交際宣言を発表したのは、1981年6月のことでした。

その際に真子さんは、この年の8月末で芸能界からの引退することを表明し、二人は1982年1月23日に結婚式を挙げています。

しかし、結婚当初から離婚の噂が立つなど、二人の結婚は前途多難なスタートでもありました。
そうして、1983年5月にはその噂が現実になるのですが…
果たして二人の離婚原因は、どのようなところにあったのでしょうか。




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名前:石野真子(いしのまこ)
別名:石野眞子(いしのまこ)
生年月日:1961年1月31日(58歳)
職業:女優、歌手
所属:フロム・ファーストプロダクション
出身:兵庫県
学歴:堀越高等学校

 

名前:長渕剛(ながぶちつよし)
生年月日:1956年9月7日(62歳)
職業:シンガーソングライター、俳優、詩人、画家、書道家
所属:Office REN(オフィス・レン)
出身:鹿児島県鹿児島市
学歴:九州産業大学芸術学部(中退)




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1983年当時、正式に長渕剛さん(当時26歳)と石野真子さん(当時22歳)が離婚したという話を聞いて、「やっぱリ」と思った人も少なくなかったと言います。
何しろ1982年1月23日にハワイで挙式した直後から、二人の離婚説が流れていました。

しかし、幾度となく持ち上がった離婚説も、真子さんが否定し続けたことや、主婦としての健気に夫に尽くす行動などから、いつもうやむやになっていたのです。

例えば、離婚する1983年の2月下旬、長渕さんが最新曲のレコーディングをしている仕事場に真子さんが手作りの弁当を作ってやって来たことがありました。
その時は周囲のみんなが離婚など考えらえないほど、夫婦は仲良く談笑していたと言います。

ところが、5月23日の記者会見で、真子さん自身の口から語られたところによれば、

離婚のことは去年(1982年)の暮れに決心

し、2月9日には夫と1年間暮らした東京・世田谷の家を飛び出して、横浜の吉田拓郎さんと浅田美代子さん夫妻(後に離婚)の所に身を寄せていたと言うのです。

つまり、真子さんは離婚すると決めて別居している最中に、夫の仕事場に弁当を届けに行っていました。
このような背景もあり、離婚の噂や信ぴょう性がどこまで真実なのか、記者にもわからなかったのです。

何か、この離婚劇の裏に隠されているのではないか?
そう感じた記者達が、「嫁と姑の不仲説」や「夫の暴力説」などを挙げましたが、そういった噂を真子さんはキッパリと否定しました。

離婚会見の席上では、

夢と現実のギャップが大き過ぎてこうなリました。

このまま彼の奥さんといて良いのかしらと思った。

と語った後、大粒の涙をこぼしたのです。

結局、具体的な離婚原因については、真子さんも長渕さんも多くは語りませんでした。
真子さんは、

日々、生活しているうちに離婚について考えるようになった。

と言い、長渕さんは、

君と僕が見た空は高かった。

という歌詞(Jungle Gym)の一節を持ち出して、その心情を語ったのです。

二人でいても寂しかった。

と、真子さんはコメントし、夫婦の会話が少なかった家庭だったことも明らかになりました。

「このままでいいのかしら?」と手紙や詩で気持ちを伝えようとした真子さんの努力も、ツアーで家をあけることの多かった長渕さんには、最後まで真剣に受け止めてもらえなかったらしいのです。

「女は黙ってついてこい」という九州男児の長渕さんと、「甘えられる暖かい家庭を夢見た少女のズレ」だという関係者の声もありました。

彼女は彼女なりの、僕は僕なりの人生を歩むことがベストだ。

と、最後に語った長渕さん。
こうして1年4ヶ月に渡る二人の結婚生活にピリオドが打たれたのです。









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