2016年に逮捕された清原和博容疑者の関係者として名前が浮上した「野村貴仁」さん…
彼もまた2006年10月31日、高知市内で覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された過去がありました。
何より驚かされたのは、野村さんの変貌ぶりだったのですが、それ以外にも過去には結婚しており妻はおろか、子供もまでいたという事実が発覚したのです。
名前:野村貴仁(のむらたかひと)
生年月日:1969年1月10日(50歳)
職業:元プロ野球選手(投手)
出身:高知県高知市(旧・吾川郡春野町)
学歴:高知県立高岡高等学校宇佐分校
備考:2000年から2001年までの登録名は「野村空生」(のむらたかき)
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野村さんが最初に所属したプロ野球チームは、オリックス・ブルーウェーブ…
1991年から1997年まで在籍していました。
その間の年俸は分かりませんが、初めてオリックスと契約したときは2800万円であること、また1995年の年俸が3900万円であることは分かっています。
それは当時の野村さんが防御率0.98のセットアッパーとして、さらにはチームのリーグ優勝に貢献したとして、オリックス球団と調停にまでもつれるほど年俸でモメたからです。
当時、野村さんは6500万円を主張したものの、結局はオリックス球団が提示した3900万円が妥当とされ、1995年の年俸は3900万円で確定しました。
また、この年の野村さんの成績などから考えると、1994年までの年俸に関しては3900万円よりも低かったことが予想されます。
そして1996年以降はセットアッパーとして、リーグ優勝や日本一に貢献しており、この年がオリックスでの最高年俸になると推定されます。
1992年:出場27試合、1勝2敗5S、防御率2.53・・・2800万円
1993年:出場36試合、3勝3敗8S、防御率1.53・・・3000万円前後
1994年:出場29試合、3勝4敗6S、防御率4.34・・・3000万円前後
1995年:出場37試合、3勝1敗2S、防御率0.98・・・3900万円
1996年:出場54試合、4勝1敗5S、防御率2.86・・・6000~7000万円
1997年:出場52試合、4勝5敗8S、防御率3.60・・・6000~7000万円
続いて巨人時代の野村さんの年俸推移です。
また、この時の野村さんは本名の野村貴仁ではなく、「野村空生(のむらたかき)」と名乗っていました。
1998年:出場24試合、1勝4敗4S、防御率5.03・・・8500万円
1999年:出場15試合、2勝0敗0S、防御率1.32・・・7500万円
2000年:出場24試合、1勝1敗1S、防御率6.75・・・7000万円
2001年:出場40試合、0勝0敗0S、防御率4.62・・・6300万円
野茂英雄さんやマック鈴木さんも在籍したミルウォーキー・ブルワーズ時代の年俸に関しては、海外で10年以上も前ということで分かりませんでした。
ただ、ミルウォーキー・ブルワーズは近年でも資金力が「C‐」と、他球団と比較しても低い球団です。
また野村さんが在籍していた2002年は球団ワースト記録となる106敗を喫し、地区最下位という散々な結果で終わっています。
そのため野村さんの年俸もかなり低かったのではないか?と予想されます。
2002年:出場21試合、2勝1敗1S、防御率1.59・・・1000万円程度?
また日ハム時代の野村さんの年俸です。
2003年:出場6試合、0勝0敗0S、防御率2.25・・・1500万円
この時の野村さんは3月19日に入団し、登板数などに応じて最大でプラス1500万円が、支払われるという契約内容でした。
最後に台湾の誠泰時代の野村さんの年俸です。
2004年:出場1試合、0勝0敗0S、防御率2.00・・・1000万円程度?
こちらに関しても詳細は分かりませんでしたが、台湾の物価や為替などを日本と比較すると、決して高くはなかったと考えられます。
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野村貴仁の結婚(妻や子供)
さて、話は変わって野村さんの結婚(妻や子供)に関してですが、巨人時代に選手記録には啓子夫人と、亮介くんの名前があります。
つまり、この時点で
野村貴仁(夫)
野村啓子(妻)
野村亮介(子供)
という図式が成り立ちます。
しかし、この名前も日ハム時代には無くなっており、2003年にはすでに離婚していた可能性が高いと思われます。
ここからは推測にはなってしましますが、2003年時点で野村氏は覚醒剤を使用していました。
きっとご家族も野村さんの異変に気付いたのでしょう…
何か問題が発生する前に離婚という決断を下したという点では、清原容疑者と清原亜季さんの関係にも似通っています。
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