愛称は“ヤックン”こと「薬丸裕英」さんは、かつてはジャニーズ事務所に所属し、1982年からはアイドルグループ「シブがき隊」のメンバーとして活躍していました。
そんな元シブがき隊時代の薬丸さんですが、実は1985年に番組収録中にコンクリートから地上に落下し、全治2ヵ月のケガを負ったことがあるのです。
今回はそんな薬丸さんの収録中に起きた過去に事故に関するお話です。
名前:薬丸裕英(やくまるひろひで)
愛称:ヤックン
生年月日:1966年2月19日(53歳)
職業:タレント、司会者
所属:オールラウンド
出生地:東京都武蔵野市
学歴:明治大学付属中野高等学校定時制(中退)
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事故が起きたのは1985年3月16日午後10時30分のことです。
この日、薬丸裕英さん(当時19歳)は、東京都品川区の八潮にある船の科学館(公益財団法人日本海事科学振興財団が運営する海事博物館)の駐車場で行なわれたフジテレビの番組「これがトリックだ!Ⅲ」の“オートバイ激突トリック、恐怖のクレーン・トリックに命がけで挑戦”と銘打った企画に出演中でした。
このトリックは、クレーンのゴンドラの一方から他方へ、オートバイにまたがったままの薬丸さんが、花火が炸裂した瞬間に移動するというものです。
とは言え、本当に空中を移動できるわけでなく、薬丸さんは移動した後のゴンドラに乗っているというトリックでした。
実際にはゴンドラからゴンドラへと薬丸さんが瞬間移動したかのように見えるというもので、唯一バイクの免許を持っていた薬丸さんがやることになったのです。
事故は、トリックが予定通りに成功したかに見えた瞬間に起きました。
何の弾みでゴンドラが揺れ、地上にいた布川敏和さん(フッくん)や本木雅弘さん(モッくん)が声を上げる間もなく、薬丸さんはコンクリートの地上に叩きつけられたのです。
すぐに救急車が呼ばれ、薬丸さんは東京都千代田区駿河台にある日大病院に緊急入院しました。
そうして、ジャニーズ事務所の関係者や東村山市に住む両親、布川さんや本木さんも病院に駆けつけたのです。
地上5メートル(8メートルという話も)の高さからコンクリートの地面に激突したため、一時は重体説も流れました。
しかし午前2時過ぎに、整形外科の遠田真人男(とおだまとお)医師の発表によると、レントゲン検査の結果「右橈骨(とうこつ)遠位端骨折、尺骨茎状突起骨折」だと判明したのです。
つまり右手首の骨と、右腕外側の骨が折れただけと診断され、薬丸さんは日大病院418号室で入院しました。
それでもレントゲン検査から折れた骨を整復し、ギブスで固定するのに4時間半もかかったと言います。
しかし、遠田医師が「コンクリートの地面に落ちてこの程度で済んだのは奇跡的なこと」とコメントするほど、薬丸さんのケガは軽傷で済みました。
薬丸さんがオートバイ用のヘルメットを着用していたため頭部の損傷をまぬがれたこと、落ちる瞬間に咄嗟にオートバイにしがみ付いたことが落下速度を弱めたこと、などが幸いしたと言われています。
事故の原因はリハーサルをしなかったことや、オートバイの前輪を固定する方法が不完全だったことが問い沙汰されました。
薬丸さんは事故のことをよく覚えており、このようにコメントしています。
ゴンドラが上がっていく途中で2回ほど止まったんです。遠くに灯台の光が見えて、何となくイヤな予感がして、「もう1回やり直してください」と声をかけようとした時、本番の声がかかったんです。
また、この他にも、
落ちる瞬間、まるで走馬灯のように色んなことが脳裏をよぎるって本当なんですね。
これが僕じゃなくて女の子だったら危なかったと思うよ。前のめりに落ちて右腕で体をかばったこと、バウンドしてひっくり返ったことも覚えている。
と事故後も元気に語っていました。
実は事故の翌日、17日はシブがき隊の全国ツアーの初日でもあったのです。
会場である群馬県伊勢崎市民文化会館では、布川さんと本木さんの2人だkで初日が幕を開けていました。
会場には前日の薬丸さんの事故を知らせる“お詫びの知らせ”貼られていましたが、ファンのほとんどが事故を知らずに詰めかけていたのです。
ステージに立った布川さんと本木さんはファンの前でこう挨拶をしました。
今日はみんな来てくれてありがとう。実はヤッくんが昨夜ケガをしてしまって…
一瞬、会場がどよめき、興奮のあまり泣き出す女の子もいたと言います。
最初は中止にしようという話も出たんだけど、ヤッくんは、「オレの分まで頑張って来てくれ」と言ってた。それに「オレのファンが泣いちゃイヤだ」ともネ。今日はオレたち2人けど頑張るから応援してくれ。
2人のこの熱意が通じたのか、コンサートは大盛況のうちに終わりました。
薬丸さんはその後、ケガも完治しコンサートにも参加…
その後はテレビドラマ「シブがき隊のスシ食いねェ!」(フジテレビ)や「夕やけニャンニャン」(フジテレビ)などに出演し、人気を不動のものとします。
そうして1988年にシブがき隊が解散した後は、マルチタレントとして「はなまるマーケット」(TBS系列)や映画・バラエティ番組などに出演していました。
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