1980年代

ジャッキー佐藤とナンシー久美…ジャパン女子プロレスリング設立の背景

かつて存在した日本の女子プロレス団体「ジャパン女子プロレス」。
全日本女子プロレスのクラッシュ・ギャルズなどの人気から女子プロレスブームが起きていた1980年代の中頃に、「プロレス版おニャン子クラブ」をコンセプトとして設立されました。

音楽プロデューサーの秋元康氏がアドバイサーとして関与。
1986年8月17日に後楽園ホールで旗揚げ戦を開催します。

その設立に際し、元ビューティ・ペアとして活躍していたジャッキー佐藤さん。
そして、ナンシー久美さんも関わっていました。
今回は今は無き、「ジャパン女子プロレス」設立に関する2人の話です。

名前:ジャッキー佐藤
本名:佐藤尚子(さとうなおこ)
生年月日:1957年10月30日~1999年8月9日(享年41歳)
職業:元女子プロレスラー
出身:神奈川県横浜市港南区

 

 

名前:ナンシー久美
本名:金子久美子(かねこくみこ)
生年月日:1960年12月30日(59歳)
職業:元女子プロレスラー
出身:神奈川県横浜市




Sponsored Links
 

当時、横浜でお母さんと一緒に小さなスナックを開いていたナンシー久美さん(当時25歳)の元に、ジャッキー佐藤さんから電話がかかってきたのは、1985年の暮れのことでした。

「元気?」、「うん」、「もうかってる?」、「まあまあ」。
そんなたわいもない会話があり、ジャッキー佐藤さんは本題に入りました。

ねえあなた、もう1回リングに立ちたいとは思わない?

その質問にナンシー久美さんは、「わあー、本当?!」と答えます。

ジャッキー佐藤さんは、昭和50年代前半の女子プロレス界の大スター。
マキ上田と組んだビューティ・ペアはWWWAチャンピオンになっただけではなく、文字通り人々を熱狂させたスーパーアイドルでした。

ファンクラブの人数は7000名。
歌っても「かけめぐる青春」は30万枚を超え、他にも「真赤な青春」や「青春にバラはいらない」などの曲が大ヒットしていたのです。

ナンシー久美さんが女子プロに入門したのは1976年3月。
ジャッキー佐藤さんより1年後でした。

けれども、スターヘの階段を駆け上るのは早く、1977年の夏にはジャッキー佐藤さんと組んでダブルスの世界チャンピオンになったのです。
しかし、美人プロレスラーで鳴らしたナンシー久美さんも1983年に「体力の限界」を理由に引退していました。

では、そんな2人がなぜカムバックしようと考えたのか?
ジャッキー佐藤さんは1981年5月に引退してから、東京・五反田で1年半ほどジャズダンススタジオのインストラクターをやっていました。

「もう一度リングに」と思うようになったのは、この時の経験が大きかったのです。

しばらくインストラクターをやったでしょ。その問に私、ウエイトトレーニングや空手、躰道の専門家と出会って、基礎体力作りの必要性と方法を知ったんです。これまでの女子プロのトレーニングがどんなに非科学的だったか痛感しました。

入門して来た女の子を鍛える期間も、トレーニングの方法も、今考えると決して満足のいくものではなかったらしいのです。
それが証拠に、ジャッキー佐藤さんは入門して僅か1ヵ月で、ナンシー久美さんは2ヵ月半でデビューしています。

こういった状況に、「これではまるでアイドルの粗製乱造と変わらない」と感じていました。
訓練ができていない選手がリングに上るのだから、当然選手生命は短命になる…
これまで女子プロレスの選手が、25歳を境にバタバタと引退するのはそのためでもある、とジャッキー佐藤さんは話していたのです。

さらにはこんな理由もありました。

テレビを見てると、最近の選手にはハートがないっていう気がするんです。私たちの頃は相撲から女子プロレスのコーチに転向した清美川さんという人が、礼儀とかプライドとか、女子プロレスの素晴らしさを叩き込んでくれたけど、今はそんな人いないんじゃないかしら。

何となくムード に押されて、完全燃焼する前に体力の限界を理由に引退してしまったという悔いもありました。
そんな思いをジャッキー佐藤さんは久しぶりにナンシー久美さんにストレートにぶつけたのです。
するとナンシー久美さんも「私もずっとそう思ってきた。もう一度ぜひ一緒にやろう」と応えたのでした。

こうして2人をリーダーとする新協会「ジャパン女子プロレスリング」は1986年1月30日、文京区関口のマンションの1階で呱々の声を上げました。
ジムの広さはおよそ50坪。
新しく入門してくる女の子たちのため、すでに近くに寮も確保しました。

とりあえず25~26名の女の子を入れて育てるつもりです。後輩が育ったら、私たち2人は裏方に回ってもいいんです。

2人の夢はりングの上で再びスポットライトを浴びることよりも、彼女らの手で心技体3拍子そろった後軍を育てることにありました。

厳格な審査、そして育成を目指し、

25歳限界説もぜひ壊したい。ママさんバレーってあるでしょ。あれと同じで、プロレスもトレーニングさえすれば30代、いや40代になってもできることを実証したいんです。

とコメント。

そうしてジャッキー佐藤さんは1986年8月17日、対神取忍(当時:神取しのぶ)戦で現役に復帰。
ナンシー久美さんも現役復帰し、ジャッキー佐藤さん、風間ルミさん、神取しのぶさんと共に四天王として活躍しました。




Sponsored Links
 



ピックアップ記事

  1. 原辰徳…嫁・松本明子との馴れ初めや結婚秘話に感動?!
  2. 若人あきらの失踪事件の真相は「シマ性健忘症」なのか?!
  3. 松宮一彦アナウンサー…死因(自殺)の原因は何だったのか?!
  4. 大島渚…映画「愛のコリーダ」の公開と裁判結果について
  5. 琴奨菊が婚約破棄した真相は宗教と同和が理由だったの?!

関連記事

  1. 1980年代

    羽川豊…嫁・松田恵子との出会いや馴れ初めとは?

    プロテストでは、当時の新記録(−8)を…

  2. 1980年代

    長者番付からわかるスポーツ選手の年収(1988年度)

    第15回冬季オリンピックカルガリー大会と第24…

  3. 1980年代

    夏樹陽子…暴行事件に元夫・平野洋一は関係していたのか?!

    テレビドラマ「ザ・ハングマン」(朝日放…

  4. 1980年代

    BOØWY(ボウイ)…解散宣言をした理由は何だったのか?!

    「Marionette -マリオネット-マリオネット」や「ONLY Y…

  5. 1980年代

    山本譲二…交通事故で全治2ヵ月の重傷を負ったことがある?!

    「みちのくひとり旅」が大ヒットして、そ…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

Sponsored Links
Sponsored Links

最近の記事

  1. 山本譲二…妻の植木悦子との馴れ初めとは?!
  2. 松田聖子…デビュー5年目でも収入はとんでもなかった?!
  3. 牛島和彦…妻の光江との馴れ初めから結婚まで
  4. 八千草薫…メニエール病という病気を患ったことがある?!
  5. 具志堅用高…妻・香澄との馴れ初めから結婚まで
  6. 森繁和…妻・靖子との馴れ初めはファンレターだった?!
  7. 久米宏 …愛人が自殺未遂をして謹慎処分になったことがある?!…
  8. 倉田保昭…クラタスポーツ・スタジオを全国展開しようとしていた…
  9. ジャッキー佐藤とナンシー久美…ジャパン女子プロレスリング設立…
  10. 都はるみ…引退の理由は中村一好が関係していたのか?!
Sponsored Links

おすすめの記事

Sponsored Links

注目記事

Sponsored Links
  1. 1970年代

    借金に悩まされたマイトガイ・小林旭の返済方法とは?
  2. 1970年代

    内藤洋子(喜多嶋舞の母)の引退の背景とは?
  3. 1990年代

    ビートたけし…事故の会見でも語らなかった真相とは?!
  4. 1990年代

    三田佳子の次男…3度の逮捕と現在について
  5. 2000年代

    甘利大臣…白井市の建設会社は「薩摩興業」だった?!
PAGE TOP