1990年から2011年まで続いたTBS系の長寿ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」…
このドラマの人気を最後まで支え続けた女優こそ、「泉ピン子」さんです。
しかし、そんなピン子さんは1990年代に大きなスキャンダルに巻き込まれたことがありました。
名前:泉ピン子(いずみピンこ)
本名:武本小夜(たけもとさよ)
生年月日:1947年9月11日(71歳)
職業:コメディエンヌ、漫談家、歌手
所属:pi企画株式会社
出身:東京都中央区銀座
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それは1995年9月29日のこと…
その日、マスコミ各社ににFAXが送られてきました。
文面は「泉ピン子のプライベートなことで会見を致したく、お願い申し上げます」とのこと…
FAXが届いたのは12時、会見は4時間後の16時という慌ただしさでした。
場所は「渡る世間は鬼ばかり」を放送しているTBS…
何事かと集まった約1OO人の報道陣の前に現れたピン子さん(当時48歳)の目は真っ赤に充血していました。
「何が何だか頭の中が混乱してて、事実も何もわからないんですけど、昨日マネジャーより、週刊誌に私の夫(武本憲重さん・当時45歳)に子供がいるという記事が出ること聞かされました」と、スッピンの顔を涙でグシャグシャにしながら語り始めたのです。
そうして「私、結婚して夫に一番愛されていると思っていました。疑ったこともございませんし、今も信じています」と続けました。
話をまとめると、夫の武本憲重さんには結婚前から交際を続けていた元看護師の女性(当時32歳)との間に生後2カ月の女児がいるというのです。
ピン子さんは誕生日に夫から送られ続けたというラブレターを読み上げて「この愛は嘘だと思いたくないんです。昨日まで愛して、今日こういうことがあったからって、嫌いになんかなれない」と号泣…
まるで一人芝居を見るような一方的な進行に、さすがの芸能リポーターも呆気にとられたと言います。
そうして、「(主人のことを)許してます。こんなことになっても、夫をかばおうと思うんです」と切々と訴え続けるピン子さんをみんなで見守ることとなりました。
そもそもピン子さんと武本さんのなれ初めは人間ドックでした。
担当医に一目惚れしたピン子さんが押しの一手で口説いて医者の妻となった(結婚を後押したのは友人である西田敏行さんだったそうです)のです。
ちなみに、この会見は結婚6年目の出来事でした。
しかし、話はこれで終わりとはなりませんでした。
結婚に猛反対した義父母は会見後、マスコミにピン子さんと音信不通状態が続いていることを語り、「息子の恥部だけをさらして、嫁だったら黙っていて欲しかった」と激怒したのです。
さらに、「上手くいくはずなかった結婚。別れるべき」とマスコミを通して離婚を迫りました。
このストレス、心労でピン子は円形脱毛症になり、げっそりしたと言います。
しかし、これでヘコたれないのがピン子さんがピン子さんたる所以…
結局、別居も離婚もしませんでした。
その後、1996年2月の弁護士を立てた話し合いで、子供の認知、数百万円の慰謝料、養育費(月10万円)の支払いが取り決められました。
生後すぐに母を亡くして片親の辛さを知っているピン子さんだけに、相手の元に行くという武本さんを引き留めなかったと言います。
しかし、夫婦で話し合いを続けるうちに、ピン子さんが夫が子供の認知をするのを承諾したことで武本さんが翻意(決意を変えること)…
お金は当時、病院の勤務医だった夫に代わってピン子さんが立て替えたと伝えられました。
武本さんはその6年後に東京・銀座に会員制クリニックを開業し、夫婦は円満…
料理は自信があり、夫には1度もインスタント食品を食べさせたことがないというピン子さんは、今も尽くす女房としての生活を送っているのです。
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