1980年代

岸恵子…娘の麻衣子から元夫シャンピの死を知らされる?!




 

テレビドラマでは「赤い疑惑」や「赤い激突」、映画でも「約束」や「君の名は」などに出演していた女優の「岸恵子」さん。

プライベートでは、1957年の映画「忘れえぬ慕情」の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピさんと結婚していますが、二人は1975年に離婚しました。
そうして離婚から7年後の1982年10月5日、シャンピさんはパリの自宅で心臓発作のために急死したのです。

岸恵子

名前:岸恵子(きしけいこ)
生年月日:1932年8月11日(87歳)
職業:女優、文筆家
所属:舞プロモーション
出生地:神奈川県横浜市神奈川区
学歴:神奈川県立横浜平沼高等学校




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岸恵子さん(当時50歳)が、横浜の実家で思いもかけない悲報を聞いたのは、1982年10月5日の夜のことでした。

前の晩に電話してきた麻衣子から、また電話がかかってきたんです。おかしいな、何かあったのかなと思ったけど、「ママ、仕事で疲れてない?」とか、なかなか用件を言わないんです。

とその時のことを語った岸さん。

ようやく話し出した一人娘の麻衣子さんの言葉に、岸さんは一瞬耳を疑いました。

ママ、パパが急に心臓病で倒れて、それで…

どうしたの?それでどこへ入院したの?麻衣子、パパの容態はどうなの?

パパが死んでしまったの…

あまりに突然の出来事に、岸さんは言葉を失ってしまいました。

「ママ、大丈夫!?私は大丈夫よ。心配しないでね。ママの代わりに、私がちゃんとするから。パパは微笑を浮かべて、とってもきれいな死に顔だったのよ。ママに、あの顔を一目見せたかった…

麻衣子さんの健気な言葉に岸さんは胸をえぐられる思いだったのです。

岸さんが最後にシャンピさんと会ったのは、来日する1週間ほど前の9月末でした。
シャンピさんが4、5年も前から企画していた映画「傷あと」が実現することとなり、俳優やシナリオライターが集まってパーティーを開いたのです。

その映画に女医の役があり、シャンピさんはジョークで、「ケイコ、引き受けてくれないか?」と言ったりしていました。
シャンピさんは医学博士号を持ち、パリの病院で助手をしながら好きな映画の勉強をして、監督になった変わり種だったのです。
医療問題をテーマにした作品も多く、代表作に「頭上の脅威」などがあります。

18年間の結婚生活中、一度も病気したことがなく、健康には自信を持ってたんです。その彼が急死したなんて、今でも信じられません。最後に会ったときも意欲満々で、とても元気そうだったのに…せめて念願の映画を撮り終えるまで生きていて欲しかったと思います

と岸さんは話しました。

岸さんが来日したのは10月8日。
NHKテレビ「夕暮れて」(1983年)と、1983年秋公開の東宝「細雪」に出演するためでしたが、当時ソルボンヌ大学の現代文学科1年に通う麻衣子さんはパリに残していたのです。

二人は1975年に離婚したものの、シャンピさんとの交流はその後も途切れることはなく、岸さんはフランス人の妻がいるシャンピさんの家へは行きませんでしたが、麻衣子さんは父親を慕ってよく出入りしていました。

また、シャンピさんが岸さんのアパルトマン(セーヌ川に浮かぶサン・ルイ島の高級住宅地)へ来て、一緒に食事をすることもあったのです。

岸さんとシャンピさんの出会いは1956年の日本とフランスの合作映画「忘れえぬ幕情」で仕事をしたことが馴れ初めでした。
シャンピさんが来日して岸さんを主演女優に起用、その後、二人の関係は深まり、翌年(1957年)5月、パリ郊外の教会でノーベル文学賞作家の川端康成さんが立合人となって結婚式を挙げたのです。

とっても大らかな人で、勝手気ままにふるまう私を、楽しそうに見守ってくれたんです。若かった私は、彼に甘えて本当に幸せでした。初めて会った時からおよそ映画界の人には見えない素敵な男性で、私の人生に春風を吹き込んでくれたのが彼でした。18年間、いわば女の一生を捧げたんですもの、思い出がたくさんあり過ぎて…

とコメントした岸さん。

二人の結婚は18年後、幸せに見えた国際結婚にかげりが見え始めました。
やがてシャンピさんに愛人ができたことを知った岸さんは、家庭を捨てて仕事を取ったのです。

そうして1975年に二人は離婚。
岸さんが慰謝料をもらわなかったのは、最初から別れる時も夫婦の財産は別個のものとするという約束があったからだと言います。

麻衣子には厳しい試練でしたが、早く親難れしたというか、人間は結局一人なんだと悟ったようです。それでも彼はずっと麻衣子の面倒を見てくれて、離婚後、私が日本へ仕事に来ている留守中は、とても可愛がっていました。麻衣子もパパに懐いて、「素晴らしい人よ」と誰にでも自慢してたんです。私はほっとして、自然な雰囲気で親子が会えるように、それとなく仕向けてきました。一番可哀想なのは麻衣子かも知れません

と語っていた岸さん。

また、岸さんは

麻衣子の気持ちも私と同じでしょう。彼は私以上に親馬鹿で、娘のことをいつも心配していました。私が言うのはおかしいかも知れませんが、今になって、絶対子供は片親にしてはいけないと思うんです。麻衣子がふっと見せる暗い影は、やっぱり親の離婚の傷あとではないかと思うことがある。かっこいい別れなんて絵空事で、子供には強烈な影響を与えるんですよね

とも話していたのです。

離婚後も岸さんがパリに住む決心をしたのは、麻衣子さんへの親権や教育のことが気になったからでした。
日本へ帰ったらもみくちゃにされるのではないかという不安もあり、結局、年に2、3ヵ月、日本で仕事をする生活に落ち着いたのです。

1980年には自宅に泥棒が入り、数憶円相当の宝石を盗まれたという噂もありましたが、それでもパリに住み続けました。
そうして、岸さんはフランスに四半世紀も住み、2000年にようやく日本に戻り、横浜の実家で一人暮らしを始めています。




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