3歳の時に祖父の劇団で子役デビューを果たし、元妻の京唄子さんと漫才コンビ「唄子・啓助」として活躍していた「鳳啓助」さん。
71歳で亡くなるまで3度の結婚をしていた鳳啓助さんですが、実は1981年に自分が知らないうちに離婚届を出されていたことが発覚したことがありました。
名前:鳳啓助(おおとりけいすけ)
本名:小田啓三
生年月日:1923年3月16日~1994年8月8日(享年71歳)
職業:俳優・漫才師
出身:大阪府大阪市
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「おもろい夫婦」(フジテレビ)で、元嫁の京唄子さんと軽妙な司会をつとめて人気を博した風啓助さん(当時58歳)が、1980年12月27日に丸16年間つれ添った鏡子夫人と離婚していたことが明らかになりました。
1980年10月から別居していた風啓助さんは、離婚届が出されたのを翌年1981年の4月まで知らなかったとか…
まさに、寝耳に水の離婚劇を経験していたのです。
鳳啓助さんの女好きは業界でも有名な話でした。
ある漫才台本作家は、
彼は女好きだよ。でも、女たらしじゃない。減法女性に優しいんだよ。だから、彼が愛人のことを言っても微笑ましい。まあ、あの男の人徳だね。
という意見も出るほど。
二番目の妻・鏡子さんとの結婚も、漫才コンビを組んでいた京唄子さんと同棲中に愛人関係となって、長女・三貴さんを妊娠したため、京唄子さんが身を引くかたちで1965年3月に入籍したのです。
その後も鳳啓助さんの女性関係は一向に哀えず、妻の鏡子さんも黙認していました。
テレビ業界の関係者からは、
彼は鏡子さんをお釈迦様のように思っていた。何をやっても許してもらえる。自分は鏡子さんの家の中で、孫悟空のように暴れてるだけだ、とね。
その鏡子さんが離婚届を提出していたのですが、鳳啓助さんは1981年4月1日まで知らなかったと言うのです。
この日、梨元レポーターに「離婚したそうだが?」と突撃インタビューされ、
そんなアホな。つい最近も一緒に写真とったばかりや。
と答えた鳳啓助さん。
自宅に電話を入れてみましたが誰も電話に出ず…
誰も出えへんが、(離婚は)してまへんで。
と答えていました。
しかし、実際には離婚届は受理されていたのです。
とは言え、内田裕也さんと樹木希林さん夫婦のように、相手の承諾なしで出されたわけではありません。
実は、鏡子さんが離婚届を提出することなどないとタカをくくった上で、言われるままに印鑑を渡してあったのです。
そのため、離婚届を鏡子さんが1980年幕れに提出し、鳳啓助さんには黙っていたため寝耳に水となったのでした。
当時、この話題には鳳啓助さんが住んでいた大阪・阿倍野区の近所住民からは様々な声があがっていました。
近くの美容院では、
鏡子さんは2週間に1回は見えはるんよ。3月28日には、駒貴さん(三女)の十三参りの写真を撮るため、啓助さんと一緒に見えはったのに…離婚しとったなんて、奥さんオクビにも出さんかった。ビックリしましたわぁ。
近くの商店の主人は、
昨日(4月2日)、1ヵ月ぶりに啓助さんを見たわ。
と話し、
別れるとは思わんかった。そやけど、芸人は別れたりくっついたりでエエんや。芸のコヤシになるよって、な。
というようなコメントもあったのです。
さて、そもそも二人の離婚理由は何だったのでしょうか。
鳳啓助さんと親しい関係にある関西喜劇通がこのような証言をしています。
彼が知人の娘さんとつき合うていたことがバレ、3人の娘さんも微妙な年令やし、悪い影響を与えてはと(奥さんが)三行半を突きつけたんが真相や。
兎にも角にも、寝耳に水の離婚となった鳳啓助さん。
しかし、その後も再婚し、これが最後の結婚となって、1994年8月8日に上顎洞癌のリンパ節転移により亡くなっています。
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