愛称は「やっさん」。
漫才ブームの到来と共に人気を博した漫才コンビ・やすきよのボケ担当だったのが「横山やすし」さんです。
「天才漫才師」や「最後の芸人」と評されたやすしさんでしたが、1989年に起こした不祥事を理由に芸能界を追われてしまいました。
果たして、その不祥事とはどのようなものだったのでしょうか。
名前:横山やすし(よこやまやすし)
本名:木村雄二(きむらゆうじ)
生年月日:1944年3月18日~1996年1月21日(享年51歳)
職業:漫才師、タレント
所属:吉本興業・大阪本社(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー・大阪本部)
出身:大阪府堺市
学歴:堺市立旭中学校
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1989年4月17日の午後2時、吉本興業本社で緊急会議が招集されました。
議題はその2時間前に起きた横山やすし(当時45歳)さんの交通事故です。
やすしさんの運転する車が大阪市淀川区の交差点でミニバイクと衝突して、バイクの男性が10日間のけがを負ったというものでした。
警察の検査を受けたやすしさんの呼気からは、1リットルあたり0.55ミリグラムという当時の酒気帯び運転の基準値の2倍以上ものアルコールが検出されたのです。
警察の取り調べに、やすしさんは「飲んでない。前夜の酒が残っていただけや」と否定していましたが、直前に収録していたラジオ番組のスタジオでの飲酒がバレてしまいました。
慌てて集まった重役たちからは「同情の余地なし」との声があがります。
即決の全会一致でやすしさんと吉本興業における一切の契約関係の破棄が決まりました。
これは吉本興業を解雇にとどまらず、事実上の芸能界追放でもあったのです。
吉本興業のこの決断は、何も酔っぱらい運転だけが問題とされたわけでありませんでした。
「やすきよ」は漫才の実力と人気ではトップでしたが、やすしさんはトラブルメーカーとして有名だったのです。
1970年12月にはタクシー運転手を殴って傷害で逮捕され、2年4カ月の長期謹慎処分を受けていました。
また、1977年4月には別のタクシー運転手と口論になり、慰謝料支払いを命じられています。
さらには1988年11月、やすしさんの長男で俳優の木村一八さん(当時19歳)が酔って六本木の路上でタクシー運転手に暴行。
一緒に飲んでいたタレント仲間が運転手とモメたことによる一瞬の出来事でしたが、被害者は脳挫傷で生死の境をさまよい、一八さんは少年院送致になりました。
やすしさんもこの件で吉本興業から無期限謹慎処分を受けていたのです。
翌1989年3月、謹慎処分が解かれて「生まれ変わった横山を見て下さい」と泣いて宣言して芸能活動に復帰しましたが、そんな矢先の飲酒運転と人身事故だったのです。
やすしさんに関してはこれらの事件化したものの他にも泥酔しての番組出演、番組ドタキャン、番組内の暴言もありました。
豪遊や趣味のモーターボートなどで借金2億円と、ハチャメチャな生活状況でもあったのです。
他の吉本所属のタレントから「何でやっさんにだけ甘いのか?」との不満の声が上がっていました。
やすしさんの芸を買って長年かばいつづけてきた林正之助・吉本会長(故人)も、「さすがに堪忍袋の緒が切れた」と記者会見で語ったほどだったのです。
しかし、それでもやすしさんは釈明の会見で「これからは船頭でもやるか」と嘘ぶき、おとなしく収まってはいませんでした。
1992年7月には参議院選挙に出馬して落選。
同年8月には何者かに襲われ脳挫傷の重傷を負い、言語障害が残って3年のリハビリ生活を送ることになりました。
そうして1996年1月21日、アルコール性肝炎で51歳の波乱の生涯を終えたのです。
大阪府吹田市の公益社千里会館で行われた葬儀・告別式では、多くの芸能関係者やファンが総勢2000人以上が参列しました。
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