失われた20年の始まりとされる1991年…
そんな年の3月にファッションリーダーとしても注目され、男女を問わずファンの多かった女優で歌手の「小林麻美」さん(当時37歳)が所属事務所社長と突然の結婚発表をしました。
名前:小林麻美(こばやしあさみ)
本名:田邉稔子(たなべとしこ)
生年月日:1953年11月29日(64歳)
職業:モデル、歌手、女優
出身:東京都大田区大森
学歴:普連土学園高等学校
出身:東京都大田区
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しかも、その発表の2カ月前には記者はおろか、事務所の社員にも知られることなく長男を出産していたのです。
突然の発表にマスコミは驚かされたことは言うまでもありません。
1991年3月15日、東京プリンスホテルで記者会見が開かれました。
壇上には小林さんと小林さんが所属する田辺エージェンシーの田辺昭知社長(当時52歳)がいたのです。
2人とも満面の笑みで喜びを隠さず、前日の14日に入籍をすませたと報告しました。
突然の発表ではありましたが、2人の付き合いは長く、田辺社長がその場で「交際は17年」と認め、小林さんが20歳で同事務所に移籍して以来の仲だったことを明らかにしたのです。
この大手プロ社長と美人タレントのカップルではありましたが、2人は共に初婚…
田辺社長には「独身主義者ではないか」というウワサもあったほどの人物だったのです。
会見では記者が「社長が所属タレントと付き合っていいのか?」と突っ込む場面も出ました。
これには田辺社長が「私の恥として受け止めています。入籍や結婚の報告が遅れたのもその点が引っかかっていた」と語ったのです。
もっとも、そんな記者たちをさらに驚かす発表も同時に行われました。
普通に芸能活動を送っていたと思われていた小林さんが、その年の1月に出産をすませていたというのです。
田辺社長は長男の名前を書いた色紙をその場で披露…
「妊娠を知らされたときは内心嬉しかった」と語り、「自分の好きになった人の子どもが欲しかった」という小林さん。
業界の誰ひとりとして知らなかった極秘出産ででした。
小林さんは半年ほど前から仕事をセーブしていたといいますが、出産の1ヵ月ほど前まで仕事を続けていました。
その間、接していたテレビ関係者や事務所の社員も一切、妊娠の事実に気づかなかったと言います。
何とも不思議なことですが、普段から細身な体にゆったりした服を好んでいて、体形の変化を悟られることなく、仕事をこなし続けていたのでしょう。
田辺社長が事務所の副社長にこの事実を明かしたのは会見のほんの数日前…
社員に伝えたのは当日で、社員一同もびっくり仰天だったと言います。
小林さんはこの日を境に芸能界を事実上引退…
専業主婦となり、その後のメディアへの露出はほとんどありませんでした。
ただ、2006年には日本歯科医師会発行の広報誌のインタビューで、小林さんが息子のことなども語っています。
また、その10年後となる2016年には、ファッション誌「Kunel」9月号(マガジンハウス)の表紙撮影…
さらに同誌で新連載「伝説のおしゃれミューズ」をスタートさせることとなり、25年ぶりに芸能界へ復帰することが明らかになりました。
きっかけは、子どもが巣立ったことで、これを機にモデルでの復帰が実現…
モデル時代に仕事をしてきた古くからの知人と、同誌の編集長が知り合いだったこともあり、新連載「伝説のおしゃれミューズ」の企画がとんとん拍子に進んだと言います。
高校生の時、少女向け雑誌のモデルとして芸能活動を始め、1972年に「初恋のメロディー」で歌手デビュー…
その後、ミステリアスな美貌でCMなどで活躍した小林さん。
1984年にはイタリアのヒット曲に松任谷由実さんが日本語歌詞をつけた「雨音はショパンの調べ」が大ヒット…
1980年代の後半には「ダブル浅野」(浅野ゆう子さん、浅野温子さん)と共に、カリスマタレントとして人気を集めて、女性ファッション誌の表紙を飾る機会が多くありました。
特に1980年代の映画「野獣死すべし」や「真夜中の招待状」で覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
だからこそ、人気絶頂できっぱりと結婚引退した彼女を借しむ声は多かったのです。
そんな折でのモデル復帰は、往年のファンの心を久しぶりに熱くさせたのでした。
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