当時、「東のX-JAPAN、西のCOLOR」と称されるほどの人気を誇った元祖ヴィジュアル系ロックバンド「COLOR(カラー)」をご存知でしょうか?
1989年からクラウンレコード(レーベル)でメジャーデビューしたCOLORは、ド派手なファッションやライブパフォーマンス、反社会的な歌詞などで一躍脚光を浴びました。
しかし1990年1月、そんな人気絶頂のCOLORのライブで大変な事故が起きるのです。
COLORはこの事故をきっかけに、表舞台から姿を消しました。
バンド名:COLOR(カラー)
ジャンル:ロック
レーベル フリーウィル、クラウンレコード
メンバー:
DYNAMITE TOMMY(Vo)
TATSUYA(G)
CINDY(G)
MARRY(Ba)
TOSHI(Dr)
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その惨事が起こったのは1990年1月6日、大阪にあったライブハウス「ザ・バーボンハウス」(大阪市北区茶屋町百又ビルB1F)でした。
この日バーボンハウスでは、COLORのメジャーデビュー後初のライブが行われていたのです。
この日のライブは、メンバーの不満が爆発したかのようにいつも以上に激しいもので、その結果ファンが将棋倒しになる事故が起きました。
中でも超満員の観衆の下敷きになったA子さんは、ただちに病院に収容されましたが、手当ての甲斐もなく、1月9日に急性呼吸不全のため帰らぬ人となったのです。
1月12日、兵庫県西宮市内の松林寺での告別式には、クラスメート43名、ザ・バーボンハウスの店長以下全従業員、それにCOLORが所属しているクラウンレコードからも関係者が駆け付けて、A子さんの死を悼(いた)みました。
COLORのメンバーも強く告別式への参列を希望しましたが、返って混乱を招くという判断から、結局、会場には姿を見せなかったのです。
クラスメイトの涙ながらの弔辞の後、A子さんの父親は「元気で明るい子でしたので、必ず帰ってくると信じていました…。大変残念な結果となり、無念でなりません。胸がいっぱいで、これ以上申しあげる言葉がありません」と絞るような声で挨拶したのです。
突然の惨事で我が子を失った悲しみを必死に耐えている様子は何とも痛ましいものでした。
出棺の時には、クラスメイトから「いやぁ、帰ってきてぇ!」という悲鳴にも似た叫びが起こり、また新たな涙が会場を濡らしたのです。
参列していた父兄の一人は、「A子さんはボーイッシュな感じで、とても素直て明るいお嬢さんでした。同じ中学生の子を持つ親として、やりきれない気持ちです。事故を起こした店は閉店しているそうですが、店が客を定員以上に詰め込んだりせず、事故の後も対応をしっかりしてくれていたら、あの子は助かっていたかもしれないんです」とコメントしました。
事故を招いたザ・バーボンハウスは、ライブハウスの老舗で、かつては上田正樹さんや桑名正博らを生んだ名門ですが、その後はは閉店状態となります。
COLORは事故以来、半年間活動を自粛し、クラウンレコードから2月21日に予定されていた新曲「BACK TO 5th MOON」の発売を見合わせ、3月14日の東京・中野サンプラザでの公演をキャンセルしました。
活動を再開したCOLORですが、これまでの過激さは嘘のように無くなり、活動拠点もインディーズに戻しています。
インディーズに戻した後もしばらく活動していましたが、1997年に雑誌「J-ROCK magazine」内に解散を想像させる記述が掲載されました。
その後、2002年6月14日にベースのMARRYさんが不慮の事故で他界…
一年後の2003年6月14日に「MARRY一周忌 追悼LIVE」が開催され、一夜限りでCOLORが復活しています。
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