1984年2月8日にある放火事件が起きました。
その場所こそ、東京都品川区内にある松竹・大谷隆三社長(当時65歳)宅だったのです。
今回は元・松竹株式会社の大谷社長が起こした自宅放火事件についてです。
名前:大谷隆三(おおたにりゅうぞう)
生年月日:1919年1月11日~2000年2月23日(享年81歳)
職業:元・松竹株式会社社長
学歴:慶應義塾大学経済学部
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この放火事件によって、家政婦(当時72歳)が死亡。
警視庁捜査1課と大崎署は犯人と思われる大谷社長に対して2月13日、現住建造物等放火の疑いで逮捕状を取り、15日朝、大崎署に出頭した大谷社長はそのまま逮捕されました。
大谷社長は取り調べで「(家政婦を)死なせてしまい申し訳ない。家庭内のゴタゴタでむしゃくしゃしてやった」と放火したことを認めたのです。
名門企業の現役社長による前代未聞の放火事件というだけでも驚愕だったのですが、理由がわかって二度ビックリの事件でした。
当初、報道では仕事の重圧と息子とのトラブルが理由と言われていました。
創業者の長男として松竹を継いだのですが、文化勲章を受けた父・竹次郎氏、中興の祖といわれた先代・城戸四郎氏に力及ばず、ストレスを酒でまぎらわせていて、ついに耐え切れなくなったと言います。
また、同居していた同社常務の長男が結婚もせず、遅刻を繰り返すのでケンカが絶えなかったと語りました。
実際、8日朝も2人は口論となり、午前11時頃に1階食堂に灯油をまいて放火に及んだのです。
マスコミは「殿、ご乱心」と書き立てました。
ところが、いざ公判が始まると大谷社長の知られざる素行が次々と明らかになっていくのです。
飲酒は1950年から始め、だんだん量が増えて1961年頃からは、30回以上も入退院を繰り返していました。
事件の1年前の12月には、長男から床に手をつかれて「酒をやめてくれ」と懇願されたこともあったのです。
さらに、大谷社長はカミソリで自分の顔を切ったり、髪の毛を切ったりしており、これは長男に対する嫌がらせのためにやったと語りました。
心配した長男が酒を隠したり洗面所に捨てたりしても効果はなく…
事件の1年ほど前からは、朝起きてすぐに自動販売機で缶ビールを買って飲むようになったといいます。
出社もままならず、会社の運営にも支障が生じました。
事件の当日は口論になり、飲酒目的で出かけるところを長男に見とがめられ、激高した大谷社長が食堂の敷物にマッチで火をつけたのです。
一度は長男が消し止めましたのだが、直後、スキを見て再び犯行に及んだ結果でした。
「クッションに灯油をかけて火をつければ最初に消されたハラいせができると思った」とし、本人はこんな言い訳もしています。
以前にも火のついたタバコを床に投げたことが2、3回あり、必ず誰かが目の前にいて消してくれたので、今回もクッションの端の方だけ燃えれば、驚いてすぐ消してくれると思ったようです。
結局、判決はアルコール依存により是非識別能力が制限されていたとして、懲役3年執行猶予5年が言い渡されました。
松竹では後任人事が進められ、大谷社長は社長を退任し非常勤役員となります。
社長には永山武巨副社長(当時)が昇格することになり、これで明治の創業以来続いた一族支配がいったん崩れたのです。
この事件以後、大谷社長は東京渋谷区に住んでいた長女宅で暮らし、完全に断酒していたと伝えられています。
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