1970年代

キャロル解散…矢沢永吉とジョニー大倉は何を語ったのか?




 

約2年半という短い活動期間にも関わらず、当時の若者に強烈なインパクト与えた伝説のバンド「CAROL(キャロル)」。

あの「矢沢永吉」さんのバンドとしても知られるキャロルですが、1972年にデビューした後は、絶大な人気の中、惜しまれながら1975年に解散しています。
果たしてキャロル解散の原因は何だったのでしょうか?

キャロル

バンド名:CAROL(キャロル)
活動期間:1972年~1975年
ジャンル:ロック
メンバー:
矢沢永吉(ベース・ボーカル)
ジョニー大倉(ギター・ボーカル)
内海利勝(ギター・ボーカル)
ユウ岡崎(ドラムス)




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CAROL(キャロル)はどれほどすごいバンドだったのか?

解散年である1975年1月19日、東京・両国の日大講堂でで行なわれた「CAROL(キャロル)」のコンサート「ロックン・ロール・オーバー」は、6千人もの大観衆を動員しました。
楽屋には午前中から、リーゼントに黒の革ジャンで身を固めた狂走族と呼ばれる当時の不良少年たちが応援に駆けつけました。

キャロルはこの1年ほどの問に、狂走族にとって教祖的存在となっていたのです。
もちろん狂走族に限らず、ロックを愛する若者たちを熱狂させたのがキャロルのサウンドだったからです。

特に1974年の7月、京都・円山公園野外音楽堂でのコンサートでは、11人の負傷者を出すという惨劇となり、この頃から徐々に、キャロルは全国至るところの会場で締め出しを受けていました。

これではいけないということで、キャロルの行く先々で、地元の狂走族が自ら会場整理を買って出るとようになったのですが、それが逆に派閥同士の小競り合いが起きてしまい、会場整理ところかコンサートを壊してしまったことも何度かあったのです。

そのため狂走族同士が話し合い「派閥を越えて会場整理にあたろう」ということで、開演前には各派関のリーダー達がステージに並んで、睨みをきかして警戒にあたっていました。
もちろん、その他にも相当数のガードマンも警備についていたのです。

それでもキャロルのメンバーがステージに現れると、客席は総立ちになり、絶叫・怒号しながら、全員が前へ押し寄せて、会場は警備員の制止も通用しませんでした。
それほどキャロルのコンサートはエネルギッシュで、当時の若者たちは熱狂したのです。




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CAROL(キャロル)の結成から解散まで

さて、そもそもキャロルはどのように結成された音楽ロックバンドだったのでしょうか?

リーダーの矢沢永吉さんが広島から上京してきたのは1971年こと。
矢沢さんは、ロックン・ロールが何よりも好きで、「東京に出てロックン・ロールをやりたい!」と、それだけを思っていました。

東京に出て来た矢沢さんは、行きあたりばったりでロックグループを結成しましたが、どうも思うような音が出ません…
すぐに解散して、新しくメンバーを探し始めました。

当時、横浜に住んでいた矢沢さんは、逗子の駅前で内海利勝さんを見かけた途端に、「こいつはいける!」と感じました。
そうしてロックが好きか、楽器ができるかなどを聞く前に仲間に入れたのです。

次に矢沢さんは、「ロックン・ロールをやりたいヤツは集まれ!」という手製のポスターを、川崎市内にペタペタと貼って回りました。
当時はフォーク全盛期であったことから、ほとんど見向きもされなかったのですが、1人だけこのポスターを見て矢沢さんのところに電話をかけて来た人がいたのです。
それがジョニー大倉さんでした。

さて、これでベース(矢沢さん)とリードギター(内海さん)、そしてサイドギター(ジョニーさん)がそろったのですが、ドラムスがいません。
そこで売り込みに回っていたレコード会社で、矢沢さんがユウ岡崎さんを見つけます。

矢沢さんはユウ岡崎さんに「ちょっとドラムを叩いてみろ」と言ったところ、短いセッションをやってみせ、「これはいける!」とメンバーに入れました。

こうして1972年9月にキャロルが誕生します。
4人で合宿して、暇さえあれば練習しました。

とは言え、当時のキャロルはキャバレーの仕事がたまに入るくらいのもので、練習する時間は十分にあったのです。
その代り、生活は食うや食わずでした。

そんな中、1972年10月にフジテレビの番組「リブ・ヤング!」に出ることが決まります。
もちろん、初めてのテレビ出演でもありました。

この番組を同じくロック歌手のミッキー・カーチスさんがたまたま見ていたのです。
ミッキーさんは、すぐにマネジメントをしたい旨を矢沢さんに伝えました。

ミッキーさんのマネジメントで、その3日後には日本フォノグラムとの専契約が結ばれ、1973年1月にはデビュー盤「ルイジアンナ」が発表されました。

さらに3月には、早くもNHKの龍村仁ディレクターがTVドキュメンタリー「キャロル」を企画していたのです。
フイルムは1973年7月に完成しましたが、NHK内部で「ドキュメンタリーとしての客観性を欠く」という物議が出たことで、龍村ディレクターNHK上層部と揉めることになります。
結局、1974年3月に龍村ディレクターは休暇に追い込まれ、これも大きな社会問題になりました。

この辺りからキャロルにはトラブルメーカーのイメージが付き、大活躍の裏側で何か小さな歪のようなものが生まれていたのかもしれません。
そんな中、1973年の暮れにジョニー大倉さんがノイローゼになって2ヵ月以上も失踪してしまいます。

後にジョニーさんは著書で、キャロルがデビューしてすぐにドラッグを始め、当時ドラッグに依存する生活だったこと明かしています。
京都公演出発の朝から2ヵ月以上も失踪し、発見されたのは川崎の精神病院でした。

そのためキャロルは一時、新しいメンバーを補充してみましたが、どうしてもキャロルの音になりません…
そんな中、ジョニーさんがまた復帰でき、またキャロルの音を取り戻すことができました。

1974年の3月、山本寛斎さんの「カンサイ・イン・パリ」に出演したキャロルは、パリで熱狂的な反響を引き起こし、ヨーロッパツアーを組んでくれという申込みが殺到したのです。

こうして、1975年はいよいよ「世界のキャロル」になるだろうと誰もが感じていたのです。
しかし、その矢先の1975年の初頭、キャロルは解散を発表するのです。




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CAROL(キャロル)解散の理由は?

キャロル解散に関して矢沢さんは、このようにコメントしています。

解散のことは、去年(1974年)の10月頃からメンバーの間で再三話し合って来たんです。理由と言っても、特にこれといったものはない。確かにジョニーが、その後も体を悪くして外れたこともあるし、今までロックン・ロールをやって来て、メンバーの間に若干、音楽的に食い違いが出て来たことも事実です。でも、そういうことは本質的なものじゃない。強いて言うなら、どんな仲の良い夫婦でも、結婚して2~3年も経てば必ず倦怠期が来るようなもんです。

 
一方で、ジョニー大倉さんはこのように語りました。

キャロルはクリエイティブな面では最高のものを作って来たと思うし、そういう意味では執着があるんだけど、キャロルは大きくなり過ぎたんです。その重圧感で僕はノイローゼになり、失踪したりしたんだけど、キャロルが存在する限り、その重圧感はなくならないだろうし、僕が心身とも立ち直るためにも、今、考え直してみたいんです。

これはジョーさんだけのことではなく、メンバー全員が互いに意見を交し、個人に戻ってキャロルを見直したいと考えたからとのことでした。

最後に矢沢さんはこのように語っています。

これからは少しのんびりしたいんで、フラッと外国へでも行って、ショーやコンサートを見ながら勉強して行きます。そうすれば、また何かやろうという意欲がわくでしょう。テレビには出ず、コンサートだけやって来た僕たちを支持してくれた人たちには本当に申し訳ないんだけそ、もう一度やろうという気持ちは、心の中にはあるんです。2~3年後に、でっかいキャロルになって戻ってくるかもしれないし、そうなれたらいいな、というのが正直な気持なんです。

こうして1975年4月13日に日比谷野外音楽堂でのコンサートを最後にキャロルは解散。
解散後、矢沢さんは誰もが知るミュージシャンとなり、ユウ岡崎さんは「C’s Graffiti Japanese Rock’n Roll Band」として音楽活動を続けています。

内海利勝さんもイギリスのレゲエバンドThe Cimaronsとのコラボレーションで作品を発表するなど音楽活動を続けており、2012年には矢沢さんのライブに出演し、37年ぶりの競演を実現しました。
ただ、ジョニー大倉さんだけは音楽活動や俳優としても活躍していましたが、2014年11月19日に肺炎により亡くなっています。
享年62歳でした。




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