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2016年の2月に覚せい剤取締法違反で逮捕された「清原和博」容疑者…
その後、「野球界のOB」や「野村貴仁」氏など、様々な関係者が話題にあがりました。
しかし、そんな中で実は、清原容疑者の父親や母親、また祖父母やに関してちょっとイイ話があったのです。
名前:清原和博(きよはらかずひろ)
生年月日:1967年8月18日(52歳)
職業:元プロ野球選手、野球評論家、タレント
出身:大阪府岸和田市
学歴:PL学園高等学校
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清原和博と祖父母
大阪府岸和田市で生まれた清原氏の実家は、「清原電気商会」という東芝と提携する電器店でした。
父親の洋文さんは仕事がら外回りが多く、祖父母の浅次郎さんと良子さんが店番を兼ねて、清原少年と弟・幸治さんを見てくれていました。
そのため小学3年生の時に入団テストを受け、岸和田リトルリーグに連れて行ったのも、祖父の浅次郎さんだったのです。
当時、清原少年は祖父から毎日100円のお小遣いを貰って、リトルリーグで練習をしていたため、この頃から「お金を貰って野球をする」という感覚を覚えたと言います。
リトルリーグ時代の清原氏は6年生ばかりの中、4年生で唯一レギュラーを獲得…
6年生の時にはエースで4番、最後の試合では完全試合を達成するほどの逸材でした。
当然のように、高校進学時には30校近いスカウトがあった清原氏…
その中で母・弘子さんが、奈良県の天理市出身だった縁から、当初は清原氏を天理高校に入れる予定でしたが、最終的にはPL学園を選んで進学しています。
PL学園に入った清原氏は1年生の時から4番を任され、エースであった桑田真澄氏と共に、甲子園に5季連続出場を果たします。
その後、PL学園時代に祖母の良子さんが亡くなり、祖父の浅次郎さんは清原氏が西武ライオンズ時代に、海外キャンプに行っている間に亡くなります。
祖母の良子さんはいつも清原氏や弟の幸治さんを可愛がり、祖父の浅次郎さんは孫がプロ野球選手になってからも、毎朝運動しながら「和博、ガンバレ」とずっと応援していました。
祖父母のお墓は昔祖父母が住んでいた村にあり、清原氏は良くお墓参りに帰っていたそうです。
実家なら30分で帰るというわけにもいかないが、お墓なら手を合わせて思いを打ち明ければとんぼ返りできた。
巨人軍に在籍していた時にも、清原氏は何かあると一人でハンドルを握って、高速を飛ばして実家に帰っていたと言います。
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清原和博と父親
清原氏は自分がプロ野球選手になった際に、父親の洋文さんに対して、
(親父は)もう働かんくていいよ
と言ったことがあったそうです。
すると洋文さんは、
俺とお前は違う
と息子に頼るようなことはせず、電気屋の仕事を続けたと言います。
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清原和博と母親
ある日、清原氏は大好きな祖父母のお墓の前で、母・弘子さんにこう言います。
久しぶりにおんぶしてやるわ
何かを察知した弘子さんは、黙って清原氏の背中に乗ります。
そして清原氏は母を背負い、祖父母の墓へと続く坂を登りながら、
お母さん、僕な、野球辞めるわ
涙をこらえながら、さりげなく話した清原氏の背中で、
わかった。もう辞め。
と母・弘子さんも嗚咽(おえつ)をあげて言いました。
野球の強豪高校との繋がりのなかった清原家で、唯一の繋がりは弘子さんが天理市出身ということでした。
弘子さんは天理教に入信して、強豪の天理高校に息子を入れようとしたのです。
結局、清原氏は天理高校へは行かずにPL学園を希望し、弘子さんは天理教に詫びを入れて、PL教に入ることとなりました。
その際、天理教は快諾してくれただけでなく、PL学園が甲子園で初優勝した時には、真っ先に弘子さんに連絡してくれたと言います。
また、PL学園に入るまでも弘子さんは、清原氏に毎日20キロのランニングを課し、自らも自転車で並んで走っていました。
清原氏はランニングを終えるまで、夕食を食べさせてせてもらえなかったと言います。
まさにプロ野球選手・清原和博を作ったのは、本人の才能もさることながら、それを支える家族であったと言えます。
2016年2月3日に東京都港区のマンションにて覚醒剤を所持していたとして、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された清原氏…
そんな清原氏のちょっと感動してしまう話でした。
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