2001年のM-1グランプリ初代王者…
兄弟漫才コンビとして人気急上昇中だった「中川家」の弟こと、「中川礼二」さんが、酒の席で21歳の女性とトラブルになったのは2003年の3月のことでした。
名前:中川礼二(なかがわれいじ)
生年月日:1972年1月19日(47歳)
職業:お笑い芸人
所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京本社)所属、吉本総合芸能学院(NSC)11期生
出身:大阪府守口市
学歴:近畿情報高等専修学校
Sponsored Links
2003年3月4日夜…
中川礼二さん(当時31歳)は大阪市内の吉本興業本社で記者会見を開きました。
報道陣の前で厳粛な表情で深々と頭を下げて謝罪…
理由は2月28日未明に広島のバーで「女性と揉めた」と、スポーツ紙などに報道されたことに加え、事件の謝罪と活動再開を目的とした記者会見でもあったからです。
事件について、礼二さんは
(女性に)ネタをして欲しいと言われたが、今はそんなんええやないかと思って、つい手が出てしまいました。げんこつでコツンと…
と説明しました。
話によると経緯はこんなことだったといいます…
2月27日に広島県で地元テレビ局の収録を終えた礼二さんはマネジャーと共に、市内の繁華街の飲み屋をはしご酒していました。
ちなみに、この時、兄の剛さん(当時32歳)はホテルにすでに帰っていました。
礼二さんたちは3軒目に向かう途中、路上で「中川家のファン」だという女性2人組と出会い、握手を求められます。
そして皆で一緒に飲みにいくことになり、午前0時過ぎにバーに入りました。
そこで落ち着くと女性たちは「ネタを見せて欲しい」とせがんだのですが、そのリクエストに対して、女性の一人の頭を礼二さんがげんこつで「コツン」とやったというもの…
関係者によると、礼二さんは酔うと後輩芸人の頭や肩を挨拶代わりに小突く癖があったといいます。
それを一般人相手にもやったというのが真相でした。
しかし、女性は激怒…
礼二さんは学生時代にラグビー経験がある巨体の持ち主で、軽く小突いたつもりでも、女性にとっては本当に痛かったのかもしれません。
さらに女性は、そのまま店を出て警察に駆け込んだのです。
怪我はなく、一度出した被害届も、後に行われた謝罪を受けて取り下げられましたが、この事件がマスコミでは大々的に取り上げられ、吉本興業は中川家が活勳停止処分としたのです。
会見の翌5日、中川家は新宿の「ルミネTHEよしもと」で活動を再開しました。
礼二さんはこの場でも舞台から客席に向かって5回も土下座したといいます。
中川家は1992年に兄弟でコンビを結成…
1996年1月には第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞します。
また2001年末には第1回M-1グランプリ初代チャンピオンになり、お笑い界の人気街道を歩み始めた時期の事件でもありました。
なお、この謝罪会見で記者から「これからも酒は飲み続けるのか?」と質問されると、礼二さんは涙ぐみながら「お酒は飲まない。一生飲まないというくらいの気持ち…」と「生涯禁酒」を宣言しました。
もっとも、礼二さんも加わった「勝吉本酔虎隊」による2003年5月発売の「阪神タイガース酒飲み音頭2003」の発表会見の場で礼二は「阪神が優勝したら飲酒は解禁する!」と宣言…
ちょうどその年は阪神がリーグ優勝したシーズンで、礼二さんの「生涯禁酒宣言」は1年もたたずに解禁されたのでした。
Sponsored Links
この記事へのコメントはありません。