「人生楽あれば苦あり」…
独特の高笑いの黄門さまと言えば、まず思い出すのは「東野英治郎」さんではないでしょうか。
1907年に生まれた英治郎さんが結婚したのは、遠い昔の1940年のことでした。
名前:東野英治郎(とうのえいじろう)
生年月日:1907年9月17日~1994年9月8日(享年86歳)
職業:俳優、随筆家
出生地:群馬県北甘楽郡富岡町七日市(現在の富岡市)
学歴:明治大学商学部
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当時、大学に通いながら劇団で活動していた東野英治郎さんは12歳年上の下宿のおかみ、英乃さんと結婚しました。
英乃さんはまだ売れない東野さんの劇団活動を支え、2年後には長男の英心さんも生まれたのです。
しかし、俳優活動が軌道に乗り始めた1951年…
東野さんはまだ9歳の1人息子と妻の元を去り、テニスで知り合った19歳の学生(禮子さん)と同居し始めます。
離婚調停も何度か行われましたが、英乃さんはガンとして離婚を拒否…
東野さんは25歳下の内縁の妻・禮子さんと生活を始めました。
まだ幼かった英心さんは母と身を捨てた父親に反発も覚えましたが、東野さんは家に残した家族を気遣い、毎月20万円の仕送りは欠かさなかったといいます。
家に仕送りを届けた帰り、手をつなぎながら駅まで見送る英心さんに「大きくなったらわかると思うけど、すべて俺が悪いんだ」とつぶやいたといいます。
一方、禮子さんは東野さんの個人マネジャーとして活動を支えました。
東野さんは関係者に「ワイフだ」と紹介することもあったといいます。
もっとも、東野さんは俳優座の重鎮で周囲は見て見ぬフリをし、不倫生活が報道されることはありませんでした。
しかし、1981年2月、英乃さんが86歳で亡くなったことをきっかけに「2人の妻スキャンダル」がマスコミを賑わせることになります。
30年ぶりに自宅の敷居をまたいだ東野さんは喪主を英心さんにゆずり、遺影を抱いて告別式に臨んで、「もう30年も前のことで、今はおぼろげになってしまったが、英乃はよくできた人でした。僕が売れなかったころに知り合って結婚し、どんなに苦労させたことか。今でもあの人を尊敬しています」と亡き妻の思い出を語ったのです。
マスコミはそんな東野家の複雑な家庭環境を書きたてました。
東野さんの再婚にも注目が集まりましたが、英心さんは「父が泣いているのを見ながら、父を許さなければいけないと思った」という一方、「僕としては入籍は賛成できない」と再婚を拒否…
さらに、生前、東野さんに面会を希望していた英乃さんが関係者に門前払いされたことも暴露して、不信感をあらわにしました。
もっとも、東野さんは英乃さんの一周忌を過ぎた1982年の5月1日、英心さんにも相談することなく、禮子さんとひっそり入籍…
ほぼ同時期、東野さんは水戸黄門の降板も表明したのです。
7月8日にお役御免の会見を開いた東野さんは「やっと決心がつきました。色々としんどいこともあり、私自身を見つめてみたい気もありまして」と心境を語ったのです。
その後も東野さんは俳優として活動を続けましたが、1994年9月8日に心不全のため、86歳で帰らぬ人となりました。
喪主は正妻となった禮子さんです。
確執が続いていた英心さんは「やっとゆっくり父と話せそうな気がします。心の豊かさみたいなものを僕に残していってくれましたから」と、わだかまりが解けた心境を語りました。
そんな英心さんも2000年11月に脳出血で急逝…
まだ58歳の若さでした。
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