座頭市シリーズといえば、「勝新太郎」さんのライフワークともいえる作品で、映画やテレビで大人気となりました。
1989年に主演の勝さん自身がメガホンを取って製作され、公開された映画「座頭市」で、勝さんの長男である鴈龍こと「奥村雄大」(当時24歳)さんが、ロケ中に出演者を死亡させるといアクシデントが起きたのです。
その結果、映画「座頭市」は勝さん主演による最後の座頭市作品となりました。
名前:鴈龍(がんりゅう)
芸名:鴈龍太郎(がんりゅうたろう)
本名:奥村雄大(おくむらたけひろ)
生年月日:1964年8月9日(54歳)
職業:俳優
出身:京都府京都市
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1988年12月26日。
広島・みろくの里の映画村では総勢80人が入り乱れるヤクザ同士の乱闘シーンの撮影が行われていました。
鴈龍こと奥村雄大さんは、それまで映画出演の経験はなく、殺陣のシーンも初めて。
しかし、勝新太郎さんの「この映画で長男をスターにする」という意気込みから、一方の組の親分役に抜擢されていたのです。
乱闘シーンが一段落して、奥村さんが背後の子分の様子を見るために振り返ったときでした。
右手に持っていた真剣が後ろに控えていた殺陣師を兼ねる子分役の俳優の首に突き刺さったのです。
傷口からは血が噴き出し、一瞬にしてあたり一面が血の海となりました。
重傷を負った俳優は、すぐさま病院に搬送されましたが、血液の5分の4を失うという大量出血で心肺停止状態となり、懸命の治療にもかかわらず、事故から17日目の1月11日に亡くなったのです。
本来、真剣は刀身のクローズアップ撮影に用いられ、立ち回りで使われることはありません。
時代劇経験が浅い奥村さんが、なぜ乱闘シーンで危険な真剣を使ったのでしょうか?
事故当初「迫力を出すために意図的に使われた」との報道も流れましたが、勝さんは記者会見で「竹光の銀紙が取れかかっていたので、取り換えることになったが、助監督が誤って真剣を渡してしまったようだ」と釈明しました。
事故発生により撮影は元日まで中断。
映画の完成を危ぶむ声もありましたが、勝さん側は「家族の了承を得た」として1月2日から製作を再開したのです。
6日からは奥村さんも撮影現場に復帰。
1月20日にクランクアップしました。
その後、2月4日の封切りに間に合わせるため、徹夜の編集作業が続けられて、映画は予定通りに公開されたのです。
映画完成後、奥村さんは勝プロの事務所で電話番をするなど謹慎生活を送りました。
当初、執行猶予付きの懲役刑も噂されていましたが、1989年7月11日に地検が下した判断は罰金20万円の略式命令。
1億1000万円の慰謝料を支払うことで示談が成立しており、遺族側からの嘆願書も出ていることも理由でした。
奥村さんは事故から2年半後の1991年に東映のビデオ映画「極道戦争武闘派」で復帰しています。
それにあたり、勝さんの「外で男をみがけ」との言葉から、奥村さんは父親の事務所から独立しています。
1994年にはVシネ「ブラック・マネー」で、相手役に本物のナイフを押し付ける役を演じていますが、事故から6年経っているにもかかわらず、ナイフに力が入らなかったと言います。
奥村さんはしばらくは芸名を鴈龍に変えて、活動を続けていましたが、近年は芸名を鴈龍太郎(後に再び鴈龍に)に戻し、舞台で活動中でしたが、徐々に肥満体型になり体重も110kgほどになりました。
最近はでは母親の中村玉緒さんと共にバラエティ番組に出演する共演も多くなっています。
また、座頭市シリーズは勝の死後は、北野武さんや綾瀬はるかさん、香取慎吾さんらによってリメイクされました。
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