1970年代

大和田伸也…妻・五大路子との馴れ初めから結婚まで




 

テレビドラマ「藍より青く」や「水戸黄門」、「踊る大捜査線シリーズ」などの出演していた俳優の「大和田伸也」さん。
NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」の主役でテレビドラマデビューし、映画「デスノート / デスノート the Last name」などにも出演していた女優の「五大路子」さん。

そんな二人が結婚したのは、1979年9月のことでした。
果たして二人の馴れ初めとは、どのようなものだったのでしょうか。

大和田伸也

名前:大和田伸也(おおわだしんや)
生年月日:1947年10月25日(71歳)
職業:俳優、声優、ナレーター
所属:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
出身:福井県敦賀市
学歴:早稲田大学第一文学部(中退)

 

五大路子

名前:五大路子(ごだいみちこ)
生年月日:1952年9月22日(67歳)
職業:女優
所属:株式会社オフサイド
出身:神奈川県横浜市港北区
学歴:桐朋学園芸術短期大学(旧 桐朋学園短期大学部)演劇科




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大和田伸也さんと五大路子さんの出会いに関しては、大和田さんがこのように語っています。

出会いと言えば去年(1978年)の6月、僕が京都で水戸黄門9話の最終回を撮った時、彼女が武家娘の役でゲスト出演したんですよ。からみのシーンはなかったけど、「ああ、これがいちばん星(1977年NHKテレビ小説で放送)の五大路子か」と思って見た。それだけで別に話はしませんでした。

一方の五大さんは、

私が受けた第一印象は、「落ち着いてクールな人だなあ」と思ったの。

しかし、この時点では挨拶を交わす程度…
他のスタジオで顔を合わせても「やあ、元気?」と言うだけで、まだ接点はありませんでした。

それから少し関係が深まったのは、さらに2、3日後。
2人は六本木の交差点でばったり出会い、近くの喫茶店に入りました。

何となく私が17~18歳頃の思い出や仕事の悩みなんかを打ち明けたら、彼はとても真剣に聞いてくれたんです。しまいにはうっすらと涙を浮べて…他の人なら「馬鹿だな」と笑って済まされそうなことを、まともに受けとめてくれて、「ああ、いい人だなあ」と、私すごく嬉しかったの。

と語る五大さん。

ところが五大さんが所属する新国劇は男女交際に厳しく、デートも>簡単にはできません。
仕事が済むと横浜の自宅へ帰った頃を見計らって、マネージャーから確認の電話がかかってくるほどでした。
仕方がないので、2人は電話を掛け合ったのです。

ところがある日、五大さんが1978年8月の名古屋御園座に出演中に、大和田さんが姿を見せます。
実はたまたま名古屋に大和田さんの実家があり、そこに両親がいました。

その時のことを大和田さんはこう語っています。

でも、楽屋へ男が出入りすると問題になると聞いてたから、寄らずに帰ったんです。その後、彼女から電話があって、「9月に3日ほど休暇が取れるから、劇団の女友達と北陸に旅行したいが、いいところ知らないか」って聞くわけね。「あ、それなら敦賀に僕の祖父母がいるし、福井の小浜には叔父さんも住んでるから訪ねてごらん」て、住所なんか教えてやりました。

これに五大さんは感激しました。
行ってみると、大和田さんの祖父母も叔父さんも、至れり尽くせり。
小浜の町を案内してもらったり、敦賀の海岸へ連れてってもらったりしたのです。

お兄ちゃんの生まれた敦賀って、とっても素敵なところよ。こんなにあったかい人達の中で育ったんだから、優しい男性になったのも当然と思ったの。本人より先におじいちゃん達と仲良くなるなんて不思議みたいだけど…

と五大さんはいっそう大和田さんを大切に思い始めました。

そうして1978年の9月、五大さんは勇気を出して大和田さんと映画「キタキツネ物語」を見て最初のデートをしました。

外出する時は大抵ワンピースなんですが、その日に限って紺のTシャツに白いスラックスというスポーティな格好してみたの。待ち合わせの場所に決めた帝国ホテルのロビーに行ったら、偶然お兄ちゃんも紺のTシャツに白のパンタロン。あっと思っちゃった。

その後、11月にまた驚くべき出来事がありました。

名古屋の名鉄ホールにお兄ちゃんが出てたから見に行こうと思ってね。その朝、私が目を覚ましたら、寝室に置いてあるこけし人形のお守りに朝日が当たって、キラキラ光ってたの。「そうだ、これお兄ちゃんにあげよう」ってハンドバッグに入れたわけ。いつか京都へ行った時、幸神社で買ったお守りなんです。

新幹線で名古屋へ行き、名鉄ホールの楽屋を訪ねて、五大さんは思わず自分の目を疑いました。
大和田さんの化粧箱前にも、こけし人形のお守りがちょこんと置いてあったのです。

もうびっくり!私のこけしは女、お兄ちゃんのは男だったけど、まるで同じ物。お兄ちゃんのは、仙台の青業城神社でお母さんが買ってくださったんですって。高さ3センチくらいで、首に5円玉がついてるの。

こうした偶然が2人の絆を深めたことが言うまでもありません。
2人はそのお守リを交換して大切にしていると言います。

知多半島の沖に大和田さんの大好きな日間賀島(ひまかじま)という小島があります。
1979年2月にそこへ遊びに行く話を五大さんにしたら、「是非行きたい」とのことで、それならと名古屋にいる大和田さんの男友達も誘って、3人で行きました。

夕やけの浜辺が何とも言えずロマンチックで2人は散歩します。
この時のことを五大さんはこんなふうに語っています。

お兄ちゃんたらドテラなんか着ちゃって、村の青年団みたいなのよ。気の利いたことは何も言ってくれないし、もう少しどうにかならないかと思ったわ。今時、こんな素朴な人っているかしら。帰りに知り合いの漁師のおじいさんからお魚をたくさんもらって、それを渡すために名古屋駅の名鉄改札ロで彼のお母さんと待ち合わせたの。私、お会いするのは初めてだったのに、人混みの中にいたお母さんが、なぜかすぐわかったんです。彼も驚いてたけど、ビッと感じちゃったのよね。

5月に大和田さんは五大さんの家族に紹介され、その後、大和田さんの故郷、若狭の旅も楽しみました。
この時、「大和田さんなら大丈夫」と両親にも信用絶大だったのです。

6月8日から4日間、また3人で日間賀鳥に行きましたが、次の日に五大さんが突然発熱して寝込んでしまいました。
大和田さんはそれこそ寝ずの看病に努めます。

熱でふっと目を覚ましたら、彼が心配そうに私の顔をじーっと見てるの。うとうとして、また目をあけると、額に冷たいタオルが当ててあって…2日目になってやっと気分が良くなった時、彼はほっとしたように「君の寝顔をずっと見てたよ」って言ったわ。ものすごく嬉しかった。

3日目の夕方、2人は手をつないで浜辺を歩きました。
ここで愛を告白するには絶好のチャンス。

咽喉まで声が出かかったが、照れくさくて言えなかったよ。自分の気持ちをロに出すと、いっぺんににつまらなくなるような気がしてね。

と大和田さん。

映画ならきまるところでしょう。私、時間が止まればいいと思って、彼の言葉をじっと待ってたのに、ポツンと「きれいなタやけだね」と言っただけ。ため息が出ちゃったわ。

と五大さん。

日間賀島から京都へ直行し、仕事に入ったその晩、大和田さんはスタッフと飲み歩いてぐでんぐでんになり、酔った勢いで横浜の五大さんの家へ電話をかけました。

昨夜、浜辺を散歩した時、実は告白しようと思ったんだけど言えなかったよ。

やっとそこまで言いましたが、本人は酔ってよく覚えていません。
しかし、五大さん真意を突き止めようと、朝早く東京を発ち、京都へ向かいました。

ホテルへ行きましたが、大和田さんは仕事でいません。
フロントにメッセージを顔んで、五大さんは別のホテルで待っていました。

そんなこととは夢にも思わぬ大和田さん。
またも飲んで夜10時頃ホテルへ帰ってみると、五大さんのメッセージがありました。

慌てて電話をかけ、五大さんが泊まってたホテルのラウンジで、ようやく2人は出会います。
しかし、きっかけを掴めずにもじもじしてると、ウェイターが「そろそろ閉めますが」と言われ、大和田さんが覚悟を決めて、

ついて来てくれるかい?

とポツリ。

五大さんもうつむいたまま小さな声で、

こんな私ですけど、あなたにいつまでもついで行くわ…

こうして知り合ってから丸1年、2人の関係が大きく進展した瞬間でした。
そこから話は一気に進みます。

6月末に大和田さんが五大さんの家を訪ねて、正式に結婚の申し込み。
7月初めには双方の両親が行き来して、正式に話し合いに入りました。

挙式の時期は、12月から大和田さんの「水戸黄門」の撮影が始まることもあり、9月末になります。
五大さんは、8月の国立劇場で「一本刀土俵入り」を最後に新国劇を退団することが決まりました。

大和田さんの母親・恭子さん(当時56歳)は、

主人も私も路子さんみたいにいい人はないって、涙が出るほど喜んでるんです。 新国劇で苦労なさってるし、きっとうまくやってくれるでしょう。2人が幸せになってくれたら、何も言うことはありません。

とコメント。

五大さんの母・静江さん(当時53歳)も、

性格がとてもよく似ていて、運命的な出会いだったと思っています。 娘は芝居に打ち込んでいたので、結婚は半分あきらめてましたが、ほっといたしました。「伸也さんに一生ついていくのよ」と言い聞かせてありますが、安心すると同時に、ふっと寂しい気もして…

と語りました。

そうして2人は結婚。
その後、大和田さんは引き続き俳優業を続け、新国劇を退団した五大さんも、多数のテレビや舞台に出演しています。




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