橋幸夫さんや舟木一夫さんと共に“御三家”と呼ばれた「西郷輝彦」さん。
プライベートでは1972年に女優の辺見マリさんと結婚するも1981年に離婚。
その後、1990年に事務所に勤務していた19歳年下の女性と再婚しています。
しかし実は、その間の1982年に元モデルの原田恵美さんと交際会見を開いたことがありました。
結局、二人は結婚しなかったのですが、その交際会見とはどのようなものだったのでしょうか。
名前:西郷輝彦(さいごうてるひこ)
本名:今川盛揮(いまがわせいき)
生年月日:1947年2月5日(72歳)
職業:歌手、俳優、タレント
出身:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現・鹿児島市)
学歴:鹿児島商業高校(中退)
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1982年5月11日の午後6時、西郷輝彦さん(当時35歳)は、元モデルの原田恵美さん(当時29歳)との交際について発表しました。
所属事務所の星野代表(当時)がこの事実を認めたのは前日の5月10日。
星野代表は当日、急遽、京都へ向かい、太秦(うずまさ)の東映撮影所で「源九郎旅日記 葵の暴れん坊」(テレビ朝日)に出演中の西郷さんと打ち合わせた結果、午後6時からの記者会見が決まったのです。
東京にいた恵美さんも、西郷さんからの連絡で京都へ駆けつけ、二人そろっての会見となりました。
この1年前の1981年7月、女優の辺見マリさんとの離婚を発表した時の西郷さんは、苦悩で憔悴した様子でしたが、この時は晴れ晴れとした笑顔を見せていたのです。
辺見さんと結婚してからの10年。
最後の2年間は別居生活でしたが、子供二人の親権を譲り、離婚に踏み切った西郷さんは、
お互いに苦しんだが、今更マリを傷つけたくない。全ての責任は、男の僕にあるんです。
とコメントしていました。
辺見さんとの結婚生活が破綻した原因は、双方の両親の確執や、夫婦のミゾが深まってから辺見さんが仕事を始めたことなどが挙げられましたが、その後、辺見さんが財産保全の法的手段を講じていたこともあり、西郷さんは離婚の決意を固めたのです。
しかしその後は、
僕は適当に遊べる男じゃないから、惚れたらドーンといくだろうね。一生結婚しないなんて、寂し過ぎるよ。結婚は縁モノだけど、やっぱり愛される妻に看取られて死にたい。
と語っていたのです。
そんな時に出会ったのが恵美さんでした。
1979年までモデルとして活躍してた恵美さん。
趣味はドライブや乗馬、スカイダイビングなどアクティブな女性で、性格も明るい恵美さんに西郷さんは惹かれました。
一人娘の恵美さんの母親・弥生さんは、急に決まった記者会見に戸惑いながらも、こんなコメントをしています。
西郷さんから正式な申込みがまだなかったので、こんなに早くとは思いませんでした。でも、優しい人なんですよ。今年亡くなった主人の世話もよくしてくれましたし、私が入院した時も気を遣って本当に感謝しました。娘もきっと幸せになれるでしょう。今はただほっとして、重荷が下りた気持ちです。
記者会見にTシャツにジーパン姿で臨んだ西郷さん。
恵美さんも白のブラウスにスポーティーなパンツ姿で、とてもカジュアルな会見になりました。
まず、西郷さんが、
紹介します。今、東京から呼んだばかりの原田恵美さんです。すごくいい人なんです。マスコミの皆さんに追い立てられて京都まで逃げて来ましたが、今日は取りあえず恋人宣言みたいなもので…彼女と知り合たのは3年前、僕が東映で「服部半蔵」という映画を撮った時、恋人役をやってもらったのが最初でした。その後、僕には私生活のゴタゴタがありましたが、やっと片づいた去年(1981年)の10月、青山で彼女とばったり再会したんです。僕がよく行く、皮べルトやブーツを売ってる店でしたが、彼女もそこへ買い物に来てね。「あれ、こんな趣味があったの?」というわけで、一緒にお茶を飲みながら話したんです。
と、二人の馴れ初めについて話しました。
当時、恵美さんの母親・弥生さんが体を壊しており、西郷さんはその相談に乗り、知り合いの病院を紹介しました。
入院中、何度か見舞いに来た西郷さんに、恵美さんは励まされ、信頼するようになったと言います。
母親の弥生さんは、間もなく健康を回復しましたが、今度は父親の正之さんが病気で倒れ、この年4月に他界する不幸が重なりました。
自分が恵美さんを支えなければと、西郷さんが決意したのはその時だったと言います。
僕もショックだった。考えてみると、僕たちの巡り会いは、神様が決めてくれたものなんですね。離婚で苦しんでいた時、彼女と会ったとしても、こうはならなかったでしょう。偶然のタイミングかも知れませんが、彼女の力になってやりたいと思ったんです。
と西郷さんが語れば、恵美さんも、
父が亡くなるまで、西郷さんはずっとそばにいてくれました。「どんなことがあっても、頑張るんだよ」と、優しく励ましてくれて…
と涙ながらに話したのです。
当時、恵美さんは東京・大森の自宅で母親・弥生さんと暮らしていました。
5、6年続けたモデルや女優の仕事も、父親が亡くなってからはやめていたのです。
西郷さんは週に4日、京都で「源九郎旅日記 葵の暴れん坊」を撮り、3日は東京へ帰って、恵美さんの家へもよく遊びに行っていました。
その点に関して西郷さんが、
お母さんとも親しくなったし、彼女が手料理を作ってくれたりするんですよ。
と話すと、恵美さんは、
卵焼きとか、私は簡単なものだけで、あとは母まかせなんです。母も最近すっかり元気になって、西郷さんのことを「優しくて、いい人ね」と褒めてます。私って元々、仕事に執着がなかったから、もう未練はありませんし…
とコメントしたのでした。
一方、結婚に関しては、
彼女もそこまではまだ考えていないでしょう。僕も両親に紹介したけど、結婚となると、まだ踏むべき段階があるし、今はっきりと言えるのは、僕にとって一番大切な人が彼女だということです。もちろん、先行きそうなればいいとは思ってますが…
と言及を避けました。
恵美さんも西郷さんの意見に頷いて、
自然に「この人と結婚したい」という気持ちになったら、真剣に考えます。
とコメントしてのです。
記者から、西郷さん過去をどう受け止めているのか?という質問に対しても、
こだわりません。彼の生き方を信じてますから…
と答え、西郷さんも続けて、
隠すつもりはないけど、僕は責任を持って付き合ってるし、彼女には何も話していません。心が通じてるというか、今の僕は二人で一緒にいる時間が一番安らげるんです。これから週に3日は堂々とデートもできますからね。結婚、結婚とあんまり急かさないで、僕たちをあたたかく見守ってくれませんか。結論が出たら、あらためて皆さんに発表します。
と締めくくったのです。
こうして結婚(再婚)秒読みとまで言われた西郷さんと恵美さんでしたが、結局、結婚には致しませんでした。
この会見から8年後の1990年に、西郷さんは自身の事務所に勤務していた19歳年下の女性と再婚しています。
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