2003年に亡くなった古尾谷雅人さんの息子で元俳優の「高藤疾土」さん。
父親の死がきっかけともなり、同じく2003年から俳優として芸能活動をしていましたが、2~3年の活動を経て引退しています。
果たして、高藤さんは現在どのような活動をしているのでしょうか。
名前:髙藤疾土(たかとうはやと)
本名:古尾谷雅
別名義:古尾谷雅人
生年月日:1983年1月7日
職業:元俳優
出身:東京都
学歴:実践学園中学・高等学校
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過去には正木ルームに所属し、ドラマ「ごくせん」や「ライオン先生」などの話題ドラマに、脇役として出演していた高藤疾土さん。
芸能界を引退した後は、しばらくファミリーレストランでアルバイトをしていました。
また、父親が亡くなった後は、母親で女優の鹿沼絵里さんと、「ライオン先生」や「年下のひと」などのドラマに出演していた妹で元女優・モデルの水野快令さんと共に都内の賃貸で生活していました。
元は文京区目白台にある1億4500万円で購入した自宅兼事務所のマンションがあったのですが、古尾谷さんが他界した後はこのマンションのローンの支払いが一挙に母親の鹿沼さんに圧し掛かりました。
鹿沼さんはホームヘルパー1級の資格を取得し、週5で朝7時から夕方6時まで老人介護施設で契約社員として働きました。
また、一時は芸能プロダクションを手掛けたり、2006年頃からは東京・神楽坂で「ルパン・反省」というスナックをオープンし、夜はこちらを切り盛りする生活が続きました。
しかし、スナック「ルパン・反省」は2010年に閉店し、借金は3000万円くらいまで抑えることができましたが、自己破産の手続きをしたと言います。
そんな中、2016年にはジュエリー関係の仕事をしていた妹の水野さんが結婚を機に家を出ることになりました。
その後は鹿沼さんと高藤さんの母息子の2人で暮らしていましたが、2017年7月に鹿沼さんが「急性大動脈解離」に襲われ、手術を余儀なくされてしまいます。
古尾谷さんの死後、アルコールの量が多くなり、鹿沼さんは高血圧になっていました。
その前から血圧が200くらいあり、おかしいなとは思っていたのです。
医者から「2年間は安静にしてください」と言われたため、それからは以前のように朝から晩まで働くようなことはせず、ゆっくりと家で過ごしていると言います。
ただ、手術自体は成功したものの、大量の薬で再発を防いでいるような状況で、時々、突発的な立ちくらみに襲われることがあるという鹿沼さん。
そんな鹿沼さんを高藤さんが支えていく生活が始まりました。
また、鹿沼さんは体調を考慮しながら、月2~3回は老人介護施設で働き、月1回朗読劇に参加しています。
そんな中、高藤さんは再び芸能界に復帰しました。
しかも、今回は名前を変えて、父親の古尾谷雅人さんを襲名すると言うのです。
これは2017年に母親の鹿沼さんが「爆報!THEフライデー」(TBS系)に出演する際、マネージャー代わりで付き添っていた高藤さんにディレクターが「良い声をしているね」と声をかけたからでした。
このことがきっかけともなり、また周囲からの勧めもあり、高藤さんは「秘密戦隊ゴレンジャー」の出演者たちで行なう「朗読劇団 桃色旋風」に出演することになったのです。
実は復帰の際に父親の名前を提案したのは鹿沼さんでした。
本名は雅だし、「この際、雅人にしたら?」と私が提案したの。本人は、自分が名乗ることでお父さんを思い出していただけたらいいなと言っていた。古尾谷雅人の名前が消えていくのが嫌という感情もあるみたい。
と語る鹿沼さん。
2018年3月24日には、高藤さんは母親の鹿沼さんと共に、朗読劇団「桃色旋風」で「二代目 古尾谷雅人」として芸能界復帰し、再活動していると言います。
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