宝塚歌劇団の元星組トップスターで、現在はミュージカル女優として活躍している「鳳蘭」さん。
プライベートでは、1980年に幼馴染で同じ中華民国籍の医師・陳瑞東さんと結婚し、二人の娘が生まれています。
しかし、その結婚も長くは続かず、二人は1986年に離婚。
そこからは独身を貫いている鳳蘭さんですが、果たしてこの離婚にはどのような理由があったのでしょうか?
名前:鳳蘭(おおとりらん)
本名:荘田蘭 (しょうだらん)
生年月日:1946年1月22日(73歳)
職業:宝塚歌劇団の元星組トップスター、ミュージカル女優
出身:兵庫県神戸市
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1986年7月22日夜、東京宝塚劇場の地下稽古場で鳳蘭さん(当時40歳)は、「7月8日に離婚したことをみなさんに報告します」と約50人の報道陣がつめかける中、まずこう切り出しました。
結婚した時、主婦として完璧にできるなら仕事をしてもいいと彼(陳瑞東さん)に言われました。そして1年に2カ月のペースを守って仕事をしてきましたが、去年、2カ月のロングランのお芝居が2本入って、彼は「仕事をやめろ」と言ったんですが、私はやめられませんでした。その頃から彼は家に帰らず別居状態になりました。私としては仕事をしている時だけが生きているんだって思えたんです。家に居てとても幸福だなって思えるんだったら、仕事はしてなかったでしょう。
と鳳蘭さんは目は潤ませながら語りました。
実は二人の間には、過去にも何度か離婚説が流れたことがありました。
噂は結婚1年目くらいから出て来ており、はっきりと表れて来たのは、1984年頃からです。
1984年の5月に、陳さんの父・成宗さんが亡くなって、それ以後はゴタゴタが続きました。
当時、陳さんの父・成宗さんは神戸市内で貿易会社「永昌貿易」を経営していたのです。
ところが一人息子の陳さんは、その会社の跡を継いだ母親を助ける必要があり、都内での病院勤務のかたわら、しばしば神戸との間を往復することになりました。
時には、病院から渋谷の自宅にも寄らず、神戸へ直行ということもあり、夫婦のすれ違い生活が続いていたと言います。
また、ほぼ同じ時期の1984年7月に鳳蘭さんも、これまで「永昌貿易」内にあった個人事務所を東京に移し、ここを芸能活動の拠点とするようになりました。
会見でも語ったように結婚当初の鳳蘭さんは、仕事は許される範囲でしたいと言っていたのですが、次第に仕事量も増え、そのことも夫婦間のミゾを深めた原因となったのです。
1985年夏頃にも離婚説が流れたのですが、この時は鳳蘭さんはキッパリと否定していました。
(離婚)危機ということをマスコミに取り上げられて、主人のところにも色々と取材の人が押しかけて、私が主人にすごく怒られました。そのことの方が、私には申し訳なくてショックです。大丈夫です。そういうこと(離婚の危機)はありません。(主人には)泣いてあやまりました。
とコメントしています。
一方で、離婚の原因が子供にあったのではないか?という声もありました。
二人の間には、由梨ちゃん(当時5歳)、と由紀ちゃん(当時3歳)と二人の女の子が生まれています。
ただ、陳家は非常に家柄がよく、旦那は一人息子でもあり、跡取りが何としても欲しかったのではないかというものでした。
このことが原因となって、姑との確執があったとも噂され、さらには芸能活動のハデな部分を嫌う陳家とは、次第にソリが合わなくなったと言われたのです。
鳳蘭さん自身は会見ではこの辺りの事情をこう語っています。
お義母さんは、私を嫁として育てようと努カしてくれました。でも私は完璧にはできなかった、私が悪かったんです。離婚は、彼の方から切り出しました。子供は私が引き取ることに彼も同意してくれました。仕事は生きがい、子供はいのち、二つともやめられません。
二人の仲人を務めた芦屋市に住む会社相談役・青原照幸氏は「危ないのではないかと、薄々思っていました。結婚以来、ずっとお正月と夏休みはいつも一緒に来ていたのが、ここ2年ほどなく、連絡しても避けているふうでしたから。離婚は色々な原因が複雑に絡み合ってるのでは…」とのコメントも出ていました。
二人が結婚したのは、1980年5月3日。
5月1日に婚約発表があり、その電撃的な早さに、当時は誰もがびっくりしたのです。
「腕の中へ飛び込んで、胸を叩きながら泣けるような男性が欲しい」と語っていた鳳蘭さんにぴったりだったのが陳さんでした。
身長178センチ、背の高い鳳蘭さんより8センチも高く、さらに東大医学部卒のエリートで、スポーツマン、実業家の顔も持つという理想の男性だったのです。
しかし、そんな二人も結局が離婚という選択をしました。
仕事をやめて家庭に入って欲しかった陳さん(当時36歳)と、仕事への情熱を捨て切れなかった鳳蘭さんとの亀裂は、埋めようがなかったのです。
彼は5年、10年先を考えて生きている人だけど、私は明日のこと考えて生きるタイプ。夫婦って片方が妥協するだけじゃダメなんです。お互いが妥協しなきゃ。それが分かりました。子供たちには、まだ離婚のことは説明していませんが、「お父さんは長い出張に行っているのよ」と話そうかと考えています、憎み合って別れたのではないですから、彼には幸福になって欲しいです。
鳳蘭さんは最後にこのように語り、会場を後にしました。
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