1970年代前半に活躍したアイドルグループの「ゴールデン・ハーフ (Golden Half) 」。
メンバーの全員がハーフという設定で活動していましたが、1974年に解散しています。
ここではグループ解散後しばらくの間、歌手やタレントとして活動していた「エバ」さんにスポットを当てました。
実はゴールデン・ハーフ解散して10年ほど経った後、エバさんが製本工場で働いていると話題になったことがあったのです。
名前:エバ
本名:エバ・マリア・バスケス
生年月日:1953年12月10日(65歳)
職業:タレント
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全員がハーフという設定の女性4人組グループ・ゴールデン・ハーフ (Golden Half)が、「黄色いサクランボ」のヒットで脚光を浴びたのは1970年のことでした。
グルーブはその3年後に解散しましたが、エバさんだけはテレビのバラエティー番組などに出演していたのです。
解散翌年の1975年には、「ほほにかかる涙」(東芝レコード) でソロデビューを果たし、その後もタレントとして「お笑いマンガ道場」(日本テレビ系列局)や「笑って!笑って!!60分」(TBS系列局)などのテレビ番組にレギュラー出演していました。
当時、かわいいルックスと現代的なキャラクターで、かなりの人気があったのです。
しかし、そんなエバさんもいつの間にか芸能界を引退…
その後の消息は所属していた渡辺プロダクションでも全くわからなくなっていました。
そんな中、エバさんが都内の製本会社で働いているというニュースが出ます。
すぐに文京区水道にある「Y社」という主に教科書の製本を業務にしている会社であることが突き止められました。
エバさんはこの会社のビルの1階にある工場で、仲間の女性従業員たちと一緒に働いていたのです。
芸能活動をしていた頃とは違い、髪の毛は肩のあたりまで垂らし、ブルーの上着とスカートの作業衣を着ていました。
会社の宮入工場長(当時)がエバさんが入社した経緯をこう語っています。
最初は知り合いの紹介でここへアルバイトに来ていたんですが、今月(1982年7月)から正社に採用しました。本人がこの仕事を長く続ける気になったんでしょう。朝8時から午後6時まで、通いで真面目に働いていますよ。もう芸能界とは関孫ないんですから、本人のためを思ってそっとしておいてくれませんか。
アルバイトで来たばかりの頃は、他の従業員たちが取り囲んでサインをしてくれと頼んだら、エバさんは両手で顔をおおって泣き出したと言います。
しかし、周囲もエバさんに理解を示し、すぐにエバさんも職場に打ち解けることができたのでした。
会社の人事担当も、
本人は一切取材されたくないと言っているので、気持ちを汲んでやってください。もちろん会社としても、一般の従業員と分けへだてなく扱っています。実によく頑張ってますよ。本人の希望で正社員になった以上、真面目に働いてさえくれれば、それに応じた待遇でむくいる方針です。あくまで社員の中の一人ですからね。
とコメントし、エバさんが一社員として扱われていることに言及したのです。
エバさんが引退して10年が経っていました。
その後のエバさんですが、製本会社の後は運送業界に移り、その後はスナック経営をしているなどと伝えられました。
今回はそんなエバさんが芸能界を引退してから10年後の姿に関するお話でした。
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