元プロレスラーで実業家、政治家としても活動している「アントニオ猪木」さん。
そんな猪木さんは過去に、演説中に暴漢に襲われて全治3週間のケガを負ったことがありました。
今回は1989年に起きた事件と猪木さん、そして元妻・尚美さんに関するお話です。
名前:アントニオ猪木(アントニオいのき)
本名:猪木寛至(いのきかんじ)
生年月日:1943年2月20日(76歳)
職業:元プロレスラー、実業家、政治家
出身:神奈川県横浜市鶴見区
学歴:横浜市立寺尾中学校
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事件が起こったのは1989年10月14日、福島県会津若松市にある県営会津体育館での出来事でした。
この日は、地元の「民社党(1994年12月に新進党の結成に伴い解散)議員を励ます会」が行なわれており、アントニオ猪木さん(当時46歳)も応援演説をするために東京から駆けつけていたのです。
そうして猪木さんがステージで演説する中、突然、刃渡り20センチの果物ナイフを持った男(当時39歳)が、猪木の後頭部を左背後から刺しました。
猪木さんは咄嗟にマイクで避けたものの、6センチほど切られて流血したのです。
2リットル近い出血があり、会場が一時騒然…
それでも猪木さんは傷口をタオルで押さえながら、最後までスピーチを続けました。
しかし、出血が止まらず、福島県会津若松市内の竹田綜合病院で緊急手術を受けることになります。
翌15日には東京に戻って、都立・夢の島公園陸上競技場で催された留学生スポーツフェアに出席し、その後は東京・干代田区富士見にある東京逓信病院に直行し、そのまま入院しました。
そうして担当医からは、
首の傷が、もう少し深ければ危ないところでした。幸い傷がそれほど深くないので、全治2~3週間というところでしょう。
と、コメントが出たのです。
また、当時、猪木さんが党首を務めていたスポーツ平和党(2004年4月に解散)の関係者は、
少しでも動くと傷口が広がり、また出血するので、「当面は絶対安静」と言われています。11月14日までは入院の予定です。それ以後は、本人の回復力によって活動の再開時期が決まって来るものと思います。
と、の説明がありました。
猪木さん自身も、青ざめた様子で心中を明かし、
演説中、人の気配は感じたけれど、アトラクションかと思いました。(切りつけられて)「ブッ殺してやろう」とカッときましたが、来ているお客さんに迷惑をかけてはいけないと考えて自制しました。妻は妊娠中なので、ショックを与えてはいけないと思い、「たいしたことはない」と連絡しました。最初の晩は痛みで一睡もできませんでした。手術は何度もしたけどこんなことは初めてですよ。
と、車椅子に乗った状態で語ったのです。
当時、新妻で22才年下の尚美さんは妊娠5カ月。
事件のことを詳しく知らされていなかった尚美さんは、帰京した猪木さんを見て呆然としたと言います。
顔面が蒼白で、前の晩は眠れなかったのがはっきりわかりました。
と語る尚美さん。
11月15日の留学生スポーツフェアには尚美さんも同行し、東京逓信病院では夜8時過ぎまで看護をしました。
翌16日も朝早くから病院でつき添っていたものの、猪木さんの看病とつわりが酷いこともあってダウン。
同じ東京逓信病院の産婦人科で、緊急に診察を受けています。
この時も、母子ともに問題ははく、翌年には二人の間に男の子が生まれました。
ただ、息子が成人を迎えた後の2012年11月末に二人は離婚。
ちなみに猪木さんは尚美さんとの結婚が3度目で、その後、16歳年下の妻と4度目の結婚をしました。
この時、猪木さんは74歳、暴漢に襲われても、さすがは燃える闘魂のアントニオ猪木さんです。
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