1966年に「恍惚のブルース」でメジャーデビューし、ハスキーボイスと妖艶なルックスで人気だった「青江三奈」さん。
2000年7月2日に膵臓がんのために59歳の若さで亡くなりましたが、通夜の席で思わぬ騒動が起きました。
なんと19年前に別れた作曲家・花礼二氏(当時68歳)と極秘入籍していたというのです。
6日夜、東京・目黒区内で営まれた通夜後、花氏は再会の経緯を語りました。
名前:青江三奈(あおえみな)
本名:井原静子(いはらしずこ)
生年月日:1941年5月7日~2000年7月2日(享年59歳)
職業:歌手
出身:東京都江東区砂町
学歴:成徳学園高等部
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花氏の話によると、「今年の2月19日に三奈から、『助けてほしい』と電話が入って、自宅療養中の三奈を訪ねた」とのこと。
結婚についても青江さんと「きっちりとケジメをつけて残りの人生を一緒に生きよう」と2人で話し合って決めたと言います。
花氏は35年も前に極秘に挙げた、当時の結婚式の写真を報道陣に配布して説明しました。
ずっと独身だった青江さんが17年にわたって、夫婦同然の関係にありながら、破局した人と人生の最後を過ごすことを選んだ…
これだけなら美談なのですが、通夜の直前まで入籍の事実を知らなかった青江さんの兄弟が異を唱えました。
テレビの取材に「意識のはっきりしない三奈に花氏は無理やりハンコを押させようとした。婚姻届を出した翌日には三奈の車を売り払った。花氏は日々の暮らしにも困っていて弟が前に貸した1万円をまだ返してない」などと、花氏に対する不快感をあらわにしたのです。
死期の近い密室(病室)での入籍は遺産目当てとばかりに非難しました。
法律上は目黒区の自宅や楽曲の印税などを合わせて、2億とも3億ともいわれた青江さんの財産は4分の3を花氏に…
残り4分の1が5人の兄弟に分与されることになるからです。
花氏も「(入籍を親族に報告しなかったのは)青江が自分の口から説明するというので、任せきりにしたための誤解」と弁解しましたが、35年前の挙式写真を周到に配布したのは何らかの説得材料が必要と考えた末だったに違いないと、マスコミは「臨終婚」などと揶揄しました。
そして週刊誌上で親族の生々しい談話も掲載されます。
「(19年前の関係解消は花氏が)女性作詞家と深い関係になり(青江さんを)捨てた。その上、数千万円の現金と熱海のマンション、那須の土地を手切れ金としてむしり取った」と。
これで花氏と青江さんの結婚は一転して、疑惑になったのです。
さらに「伊勢佐木町ブルース」などの作詞家で「青江三奈」の名付け親でもある川内康範氏も花氏を批判…
ついには兄弟側が婚姻届の筆跡鑑定まで行いました。
結局、鑑定で筆跡が本人のものとわかったことで、花氏側税理士と兄弟との間で遺産分割協議に入ることになったのです。
約半年に及ぷ話し合いを経た翌年5月、ほぼ法定相続に近い形で花氏が遺産を兄弟側に現金で届けることで合意しました。
兄弟のひとりは「(花氏が持参した現金は)全部で4束。1束5センチくらいで、額にするとたいしたものじゃない」と週刊誌上で暴露しましたが、死後1年近くを経過してようやく事態は収束…
ブルースの女王は草葉の陰でため息をついたかもしれません。
ちなみに青江さん亡き後、「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が神奈川県横浜市中区のイセザキモールに建立されています。
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