テレビドラマ“おれは男だ!”や“あかんたれ”などに出演していた俳優の「志垣太郎」さん。
プライベートでは、1985年に元・女優の白坂紀子さんと結婚しています。
さて、そんな志垣さんと嫁の白坂さんの結婚や馴れ初めには、どのような経緯があったのでしょうか。
名前:志垣太郎(しがきたろう)
本名:河村稔
生年月日:1951年9月22日(67歳)
職業:俳優、声優
所属:オスカープロモーション
出身:東京都大田区山王
学歴:日本大学藝術学部
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志垣太郎さん(当時33歳)が、3年越しの恋を実らせて、当時テレビタレントだった白坂紀子さん(27歳)と結婚したのは1985年6月のことでした。
2人の出会いは1982年3月、テレビドラマ「水戸黄門」(TBS系)の京都ロケで一緒になった時に、志垣さんが一目惚れしたことがきっかけでだったのです。
前から「夕やけロンちゃん」(TBSの児童向けワイドショー)の司会をしてた彼女を見て、感じのいい子だと思ってたんです。たまたま「水戸黄門」で会ったんで「君と話たいな」ってアプローチしました。下心があって声をかける男性が一杯いたみたいで、最初は僕もそんな目で見られたんじゃないかな。3、4回話したり電話をかけたりして、1ヵ月後にやっと初デートに漕ぎつけました。付き合ってみると、明るい性格で常識もきちんとあるし、すごく聞き上手なんですね。お互いに異性交際を古風に考えているところも共通で、これはウマが合いそうだと自信を持ったんです。
と、志垣さんは2人の馴れ初めに関して語っていました。
一方の白坂さんはと言えばプレイボーイの噂もあった志垣さんに警戒心を抱いていたのですが、押しと熱心さに負けて電話番号を教え、なりゆきでデートに応じたのです。
六本木でお寿司を食べたんですが、楽しくて気さくな人だし、意外と真面目なんですよね。私の頭にあったイメージと違うんだなって、彼を見直しちゃって…
と語る白坂さん。
こうして2人はデートを重ね、志垣さんはその度に白坂さんを調布の自宅まで送り届けていました。
しかし毎回だと、青山から調布まで大変なので、そのうち家へ着いたら電話するようになったと言います。
志垣さんは2人の交際から結婚までに関して、
2人とも割りと淡々としてましたね。カーッと燃え上がるんじゃなくて、水の流れるような感じだった。余計なことは言わずに彼女は僕について来てくれました。キッチンでまな板の音をトントンとさせながら食事を作ってくれる時なんか、しみじみ「いいなァ」と思ったりして。結婚を焦らなかった僕が、やっと相手が欲しくなった時期に、たまたま彼女と出会ったんですよ。
とコメントしています。
プロポーズしたのは、1984年12月24日のクリスマス·イブでした。
その日は、白坂さんが志垣さんの部屋へ遊びに行き、2人で料理を作っていたのです。
部屋を暗くしてキャンドルに火を灯し、ワインで乾杯…
その時、志垣さんから「来年は一緒になろうね」とプロポーズされ、白坂さんは何となくニコニコしながら「そうね」と頷きました。
そうして、翌年の元日には双方の親に挨拶をしに行き、白坂さんの誕生日でもある1月10日に、志垣さんからイニシャルを入れたリングをプレゼントされたのです。
白坂さんの本名である“朱実”のAや志垣さんの本名“稔”に加え、日付である「’85.1.10」が彫られていました。
他にも志垣さんはコートを送ったりしましたが、白坂さんが一番喜んでくれたのは志垣さんが旅行先のサイパンからくれた絵ハガキだと言います。
「人に手紙を書いた経験は1度もなかった」という志垣さんが、1週間に8通も手紙を送って来てくれたことに感動したのでした。
2人とも血液型は0型で、彼女も芯は強いはずだけど、100円のローソクを僕が買ってきても無邪気に喜ぶみたいなところがあるんです。役者としての僕をきちんと把握してくれるし、人前では出しゃばらずに、ちゃんと僕を立てる。彼女だって最初から、僕と結婚する予感があったんじゃないですか。
と語る志垣さん。
結婚式は志垣さんが誕生日を迎える1985年の9月と考えていた2人でしたが、双方の両親が「なるべく早い方がいい」という意見があり、前倒しで6月になりました。
クリスチャンの志垣さんが選んだ式場は教会で、披露宴はホテルニューオータニのクリスタルルーム。
新婚旅行はハワイにしました。
1988年5月13日には、俳優として活躍している長男の匠(たくみ)さんが生まれています。
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