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東宝系映画「翔んだカップル」(1980年)で、芸能界デビューを果たした「石原真理子」さん。
当初は清純派女優として活躍していましたが、ストーカー行為や万引きなどで逮捕されたりと、すっかりとお騒がせ女優のイメージがついてしまいました。
今回はそんな石原さんの著書「ふぞろいな秘密」(2006年)で明らかになった1986年の骨折事故に関して振り返ってみたいと思います。
名前:石原真理子(いしはらまりこ)
本名:デロウ真理絵
旧名:石原真理絵(いしはらまりえ)、石原真理(いしはらまり)
生年月日:1964年2月4日(55歳)
職業:女優
出身:東京都大田区田園調布
学歴:聖心女子学院高等科
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石原真理子の骨折事故といくつもの疑問点
1986年2月22日早朝、東京・下目黒のマンションで石原真理子さん(当時22歳)が転倒し、骨折するという事放が起きました。
この日の夕方、石原さんが運ばれた港区南麻布2丁目にある古川橋病の院長(当時)で主治医でもある鈴木達雄医師、所属事務所であるキティ・アーティスト(当時)の吉田謙三取締役、松竹の真鍋二郎取締役か出席して緊急記者会見が行なわれたのです。
まず、石原さんの容態ですが、こちらは鈴木医師が、「背骨打撲と第三腰椎左横突起骨折で3週間ほどの入院が必要、本人は運ばれた時は痛がっていたが外傷もなく、全治すれば後遺症の心配もない」と解説しました。
次に吉田取締役が事故当時の様子を説明します。
それによると、「2月22日の午前2時半頃、石原さんが自動販売機のジュースを買いに出ようとしたところ、マンションを3階から2階に降りる途中て足を滑らせて腰を強打、その時は痛みをこらえて自室に戻ったが、朝になって痛みが激しくなり、電話で母親の助けを求め、母親が110番した」というものでした。
また、この後すぐに女性マネーシャーも駆けつけ、二人は石原さんに付き添って病院に向かったと言うのです。
この説明だけを聞くと、特に不備な点はありませんでした。
しかし、取材をしていた記者からは、次々と疑問点が飛び出したのです。
まず問い沙汰されたのは、石原さんが転んたという階段でした。
マンションの階段は比較的に傾斜もゆるやかで8段までしかなかったのです。
さらに階段には上質の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められており、絨毯には滑り止めも付いていました。
このマンションに出入りする業者も、「あんな所て転んで、人がケガするかなぁ。ちょっと考えられないけど…」との証言も出ていたのです。
そのため石原さんが骨折した現場は階段ではなかったのでは?と疑問を持たれていました。
そもそも、このマンションの部屋は、元々は石原さんの父親の事務所でした。
それを石原さんが夜遅くなった時、あるいは朝早い仕事がある時に利用していたのです。
ただ当時は、ほとんど石原さんは住んているといっても良い状態で、特にミュージシャンで恋人の玉置浩二さんと一緒に過ごす場所でもありました。
付近の住民にも、朝二人がゴミ出しに出る姿も何度も目撃されており、取材陣も良く知っていたのです。
そのため深夜にジュースを買いに出たという話も、買い置きを切らしてしまったとの可能性もありますが、お茶もコーヒーもなかったとは、どうしても考え難かったのです。
まして深夜の2時半です。
女優の石原さんは元より、一般の家庭でもちょうと外へは出にくい時間帯でした。
加えて、2月22日の朝に駆けつけた石原さんの母親とマネーシャーは、石原さんに付き添って病院に行っています。
事務所側の話によると、この時点でマンションの部屋には誰もいないはずでした。
しかしこの日の夕方には、テレビをつけた時の明かりや夜の8時過きには部屋に電気がつけられたりと、明らかに石原さんの部屋に誰かがいることが確認されたのです。
もっと言えば、この石原さんの事故は骨折でした。
骨折と言えば、なかなか我慢することができないものです。
にも関わらず、石原さんは深夜2時半頃に転倒し、それから救急車が駆けつけて来る朝の7時13分までに約4時間半、たった一人で痛みをこらえていたことになります。
果たして、そんなことができたのでしょうか。
この事故に際し、当時、石原さんと玉置さんに近い友人がこう証言しています。
「二人が玉置さんの奥さん(1983年に結婚した最初の妻・美由紀さん)の件で言い争いをした結果、もみ合いになり、イスの角で強くを打ったと聞きました」
このような疑問や証言から、石原さんは転んで骨折したのではなく、マンションの部屋の中で何かが起きたのではないか?と推察されていたのです。
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石原真理子の骨折事故と玉置浩二の行動
さて、この1986年2月22日に石原真理子さんの事故が起きた時、恋人の玉置浩二さんはどこにいたのでしょうか?
実は石原さんが病院に運ばれた後も、何社もの報道陣が石原さんのマンションの前で張り込みを続けていました。
と言うのも、事故の2日前の2月20日に、玉置さんがこのマンションに入ったという情報があり、石原さんの部屋に電気をつけたりしたのは玉置さんではないか?と疑われていたからです。
張り込みは事故後も続けられ、2月24日午前2時30分頃に石原さんの部屋にいた人物が特定されました。
その時間、1台の赤い小型車がマンション前に止まり、車の中から2人の男性が現れてマンションの中に入っていきます。
さらに別の場所から男性5人が現れ、彼らもマンションに近づいていきました。
そうして午前2時43分、マンションから予想通り玉置さんが現れたのです。
顔はサングラスをかけているものの青ざめた表情をしていました。
右手の薬指には石原さんとのペアリングが光り、同じくペアで購入した黒のブルゾンを着ています。
先に来た2人と後から来た5人に、玉置さんしっかりとガードされて車に乗り込みました。
実はこの2日後の2月26日に、玉置さんは岐阜のコンサートに出演する予定があったのです。
そのため報道陣がマンションの前で張り込みをしているのがわかっていても、姿を現さないわけにはいきませんでした。
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石原真理子が「ふぞろいな秘密」で暴露
事故があったこの年、玉置浩二さんは妻の美由紀さんと離婚しています。
しかし、石原真理子さんとは結婚せずに、1991年に薬師丸ひろ子さん、1999年には安藤さと子さん、そして2010年には青田典子さんと結婚しました。
2006年12月6日に出版された石原さんの著書「ふぞろいな秘密」(双葉社)には、この1986年の事故のことが記されています。
それによると、もともと玉置さんのファンだった石原さんは19歳の夏に二人は男女の関係となり、このマンションで同居するようになりました。
ただ、玉置さんには妻の美由紀さんがおり、1985年にこの石原さんとの不倫関係がマスコミに発覚してしまいます。
二人は熊本で心中をしようとするも未遂に終わり、その頃から玉置さんのDVが始まった言います。
1986年2月22日の事故も、玉置さんに蹴られた石原さんが腰椎骨折で動けなくなり、救急車を呼んでベランダから担架で運ばれたというのが真相とのことでした。
石原さんはこの事故で1ヶ月半入院し、退院後も玉置さんのDVがエスカレートしたことで、その年の9月に石原さんが破局会見を開いたのです。
しかし、事故から23年後の2009年の2月25日、石原さんは再度、玉置さんと婚約したことが明らかになります。
けれども、前夫であるアメリカ人男性との結婚が解消されていないため、婚姻届は受理されませんでした。
そうして、この年の9月には玉置さんとは破局状態となったことが報じられたのです。
何とも不思議な二人の関係でした。
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