1986年に建築界のノーベル賞と言われるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した建築家の「黒川紀章」さん。
テレビドラマ「新・平家物語」や「おひさま」、映画「妻は告白する」や「女は二度生れる」などに出演していた女優の「若尾文子」さん。
二人は1983年に結婚(再婚)しました。
当時、黒川さんと若尾さんは結婚に際し、会見を開かなかったのですが、思わぬ騒動が起きたことで、急きょ翌年の1984年に会見を開くことになったのです。
名前:黒川紀章(くろかわきしょう)
本名:黒川紀章(くろかわのりあき)
生年月日:1934年4月8日~2007年10月12日(享年73歳)
職業:建築家、思想家、実業家、政治活動家
出身:愛知県海部郡蟹江町
学歴:東京大学大学院工学系研究科
名前:若尾文子(わかおあやこ)
本名:黒川文子
生年月日:1933年11月8日(85歳)
職業:女優
出身:東京府東京市荒川区(現・東京都荒川区)
学歴:宮城県第二女子高等学校(中退)
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世界的建築家の黒川紀章さんと、女優の若尾文子さんが結婚したのが1983年のことでした。
黒川さんが前々からファンであった若尾さんと、1976年に中部日本放送の番組「すばらしき仲間」に共演したことが二人の馴れ初めです。
この時、黒川さんは若尾さんの美しさをバロック芸術の「肯定と否定の矛盾」に例えました。
こうして「すばらしき仲間」をきっかけに二人は交際を始めたのですが、黒川さんは既婚者…
さらに、前妻が二人の間にいた娘が20歳になるまで離婚に応じなかったのです。
娘が20歳になったのは、それから7年後。
1983年にようやく黒川さんと前妻の離婚が成立し、黒川さんは若尾さんと結婚したのです。
このような紆余曲折の末にようやく結ばれた二人。
しかし、結婚当初は黒川さんに対して、イタズラ電話や脅迫状が続々と舞い込んだのです。
女優を女房にするとはけしからん!
お前はあの伊藤素子とデキてだはずだ!
などと言われる嫌がらせもありました、
また、1984年1月末には、
過去の女性関係、設計ミス、モスクワでの行状をマスコミに暴露されたくなければ指定の銀行口座に○万円振り込め!
という脅迫状とも取れる手紙が届き、さすがの黒川さんも怒って赤坂署に捜査を依頼したのです。
電話も朝から夜中までかかり、これでは仕事にならない。私だけではなく、迷惑してる有名人も多いはずだ。こういう奴は必ず捕まるという見せしめのためにも警察へ届け、マスコミにも書いてもらって、ぜひ犯人をつきとめたい。
と、黒川さんと若尾さん夫妻は1984年2月9日、都内のホテルで結婚後初めての記者会見を開きました。
黒川さんは脅迫状の内容について、
指摘された青柳という女性社員は会社に実在しないし、設計ミスもまったく事実無根。モスクワへは大学院生時代に行って国際会議に出席したが、何のトラブルもなかった。なるほど女優と結婚したらこういうことになるのかと、変に納得させられたが、これ以上悩まされたくないので、断わってきた記者会見をしたわけです。
と釈明したのです。
若尾さんも、
私は嫌がらせに慣れてますが、脅迫は黒川の仕事を妨害する目的のようです。もちろん、主人のことは露ほども疑っていません。逆に夫婦の絆が強くなったと感じてます。
とコメント。
会見に詰めかけた約100人の取材陣にはコーヒーがふるまわれたり、クラシックのBGMまで流れるなど、途中からまるで結婚記者会見の雰囲気になったのです。
女優の妻を持った感想を聞かれた黒川さんは、
普通の女とは違うだろうと思ったのは私の錯覚で、実は大変地味で献身的な女性、浮気なんかする暇はないですよ。
と語れば、若尾さんも続いて、
あなた、そんなこと言うとますます嫌がらせされるわよ。
と制しました。
しかし、黒川さんはそれでも止めずに、
食事は全部手料理で、僕の大好きな豆腐を毎日工夫して食べさせるし、味噌汁や糠みその漬物も欠かさない。日本的な主婦で満足してます。
と絶賛したのです。
結婚当初、二人合わせて99才の新婚力ップルと言われた黒川さんと若尾さん。
最後に記者から、念のため「赤ちゃんの計画は?」という質問が飛ぶと、若尾さんが
イジワルねー
と笑って会見はお開きになりました。
結婚に際し、会見を開くことのなかった二人でしたが、思わぬ騒動が起きたことで、急きょこのような結婚会見?を開くことになったのです。
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