1980年代

因幡晃…嫁・鈴木博子との馴れ初めと結婚について




 

シンガーソングライターの「因幡晃」さん。
1975年の第10回ヤマハポピュラーソングコンテストに「わかって下さい」で出場し、最優秀曲賞を受賞しました。

近年では2014年に、杉田二郎さん、堀内孝雄さん、ばんばひろふみさん、高山厳さんとブラザーズ5を結成しています。
今回はそんな因幡さん(当時28歳)と嫁の鈴木博子さん(当時26歳)との馴れ初めと結婚秘話に関するお話です。

名前:因幡晃(いなばあきら)
生年月日:1954年3月18日(65歳)
職業:シンガーソングライター
所属:アップフロントクリエイト
出身:秋田県大館市花岡町
学歴:秋田県立大館工業高等学校




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因幡晃さんが嫁の鈴木博子さんと出会ったのは1981年の正月のことでした。
場所は山形市にある蔵王スキー場のロッジです。

毎年のように事務所の仲間とスキーに来ていた因幡さん。
その時もスキー場のロッジで昼食を食べるために料理を待っていると、博子さんが一人で店内に入って来て席を探していたのです。

しかし、店内はほぼ満席。
因幡さんは自分の隣席に、ヤッケや手袋を置いているのに気が付きました。

悪いと思った因幡さんは、「ここ空いてますよ」と博子さんに声をかけたのです。
隣に博子さんが座った時、因幡さんビビッと体に電流が走りました。

因幡さんは混んで注文できないでいる博子さんの代わりに、大声でウエイターを呼んで注文をしたり、「午後から一緒に滑りませんか?」と声をかけたのです。
誘われた博子さんは因幡さんとスキーを楽しみました。

博子さんは地元・山形市で銀行に勤めるOLでした。
その日は気軽に日帰りスキーをしに来ていたのです。

一方の因幡さんは蔵王に1週間滞在。
そのため博子さんと別れる時には、彼女の自宅の電話番号をしっかりと聞いていました。

スキーをしてる時に、博子さんに「お仕事は何をしているの?」と聞かれて、「歌やってます。因幡と言います」と名乗ったのですが、彼女は因幡さんのことを知らない様子だったと言います。
博子さんは、因幡さんを雑誌などで見た記憶があった程度でした。

因幡さんは、1975年にヤマハのポピュラーコンサートで、 自作の「わかって下さい」を歌い最優秀曲賞を受賞。
1976年にはこの曲でレコードデビューを果たし、82万枚の大ヒットを記録していました。

当時も各地のコンサートでは相変わらず女性客でいっぱいになるほどの実力派だったのです。
一時は鉱山技師として就職していましたが、その仕事を拾てて歌の世界に飛び込んだ異色の人物でもありました。

因幡さんは博子さんと会って1週間後、蔵王を下リるとすぐに電話をかけました。
「お茶でも飲みませんか?」と誘うと、博子さんは素直に応じてくれたと言います。

この初デート以来、お互いの気持ちは急速に接近していきました。
特に積極的だったのは因幡さんです。

電話を毎日のようにかける一方で、宮城県や山形県でコンサートを開くと必ず博子さんを招待したり、因幡さん自身が訪ねたりしました。
というのも、博子さんが理想の女性だったからなのです。

因幡さんの理想の女性とは「おふくろみたいな存在」とのこと。
これは気を使わなくても、全てを理解してくれる女性という意味です。

1981年の夏に因幡さんは、博子さんの両親に会い「結婚を前提にお付き合いさせてください」と申し込みました。
その夜、博子さんに「ご両親にああ言ったけど、いい?」と打診。
これがプロポーズとなりました。

それからは、どこにいても毎日2回は博子さんに電話していたという因幡さん。
因幡さんの両親からは、「お前が帰ってくると、電話代が高くつくからかなわんよ」とまで言われました。

その両親に博子さんを紹介したのは1981年秋。
両親は「お前が見つけた相手なら間違いない」と気に入ってくれたと言います。

こうして博子さんは1982年1月で銀行を辞めて花嫁修業に入りました。
1982年11月16日には山形で結納を済ませたのです。

婚約指輪はダイヤでした。
「高かったなぁ」とコメントする因幡さんはちっとも嫌そうでなかったと言います。

当時、博子さんは因幡さんの魅力について聞かれると、

彼の魅力はたくさんあって、何から言っていいのか…とにかく思いやりがあり、心遣いが細やかで包容力があるんです。どこまでも頼っていける人です。私は家庭を守ってゆったりした気持ちでいい歌が作れる環境を作っていきたいと思います。

と語っています。

一方、因幡さんは、

子供は1年間は作らず、二人の時間を大切にしたい。

結婚発表をきっかけに、今までの哀しい歌ばかりだったテーマが変わっていく予感がある。「わかって下さい」を泣いて歌ってこともあるが、今後は笑顔で胸を張って歌えそうだ。

とコメントしたのでした。




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