愛称は「和製ドラゴン」。
映画「帰ってきたドラゴン」や「ファイナル・ファイト」などに出演していたアクション俳優の「倉田保昭」さん。
そんな倉田さんは1970年代後半から、アクションタレントを養成する「クラタスポーツ・スタジオ」を設立していました。
今回はその時代のお話です。
名前:倉田保昭(くらたやすあき)
生年月日:1946年3月20日(74歳)
職業:アクション俳優
所属:倉田プロモーション
出生地:茨城県新治郡桜村
学歴:日本大学芸術学部演劇学科
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倉田保昭さん(当時38歳)がアクションタレントを養成する「クラタスポーツ・スタジオ」を東京と大阪に設立したのは1970年代後半から1980年代にかけて。
クラタスポーツ・スタジオは全国に広げていく計画でした。
東京のスタジオは、世田谷区代沢にあり、1984年当時の倉田さんは、
東京のスタジオを6年前(1978年)に作って、(1984年に)大阪のスタジオがオープンしたばかりですが、来年(1985年)は仙台に開校しますし、ゆくゆくは全国的なスポーツクラブにしたいと思っているんです。
と語っていました。
クラタスポーツ・スタジオでは武道の基本、空手、少林寺拳法、様々なアクションを指導。
東京の教室では設立から6年で約100人の生徒が門を叩いていました。
その中で卒業生が30人。
クラタスポーツ・スタジオを巣立った卒業生には、台湾映画に出演していた熊谷恭子さんや、「幽幻道士2」などに出演するなど当時アクションタレントとして活躍し始めていた竜咲隼人さんもいました。
ちなみに、当時アクションタレントの養成教室と言えば、千葉真一さんが主宰するジャパン・アクション・クラブ(JAC)が有名でした。
クラタスポーツ・スタジオが、JACとどう違うのかと聞かれた倉田さん。
千葉さんのところは高い所から飛び降りたりする派手なアクションが多いけど、うちは地に足のついた基本のアクションが中心です。スターが生まれたら嬉しいが、それだけを狙わない。むしろ地道にやってくれれば、それでいいと思っています。
と答えていました。
また、
ゆくゆくは中・高校生主体のアクションタレント養成に力を入れるつもりです。
とも語っていたのです。
ただ、現在はクラタスポーツ・スタジオとしては展開しておらず、名前も「倉田アクションクラブ」(東京・大阪)となっています。
また、芸能事務所として倉田プロモーションを1985年6月10日に設立し、映画やテレビ、イベントなどのアクションコーディネート、舞台の企画、外国映画の輸入及び国内映画の輸出などを手掛けています。
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