1990年代

薬師丸ひろ子…玉置浩二との馴れ初めと結婚に至るまでの経緯




 

1991年に玉置浩二さんと結婚した「薬師丸ひろ子」さん。
薬師丸さんのシングル曲「胸の振り子」の作曲を玉置さんが担当したことがきっかけで交際に発展した2人ですが、そんな2人の結婚式はどのようなものだったのでしょうか。

名前:薬師丸ひろ子(やくしまるひろこ)
本名:薬師丸博子(やくしまるひろこ)
生年月日:1964年6月9日(54歳)
職業:女優、歌手
出身:東京都港区北青山
学歴:玉川大学文学部英米文学科




Sponsored Links
 

1991年新春早々、薬師丸ひろ子さんと玉置浩二さんがハワイで電撃挙式というニュースが飛び込みました。
2人は以前から半同棲中で、交際2年あまりの愛がようやく実った形になったのです。

2人の馴れ初めは、薬師丸さんのアルバムのアドバイザリースタッフとして玉置さんが参加したのがきっかけでした。
1987年には玉置さんは薬師丸さんのために「胸の振り子」という曲を作曲しているのです。

その後、1988年秋に初めて交際していることが発覚し、その年の暮れには一緒に香港旅行に出かけていたことが判明しました。
さらには双方がお互いのマンションを行き来していることも目撃されて、結婚は近いと見られていたのです。

薬師丸さんは玉置さんの音楽的な才能はもちろん、純粋な人柄にも惹かれていったと言います。
一方の玉置さんは、薬師丸さんの芸能人なのに芸能人らしくない素直で気さくな人間性に惹かれたと言います。

ところが2人の結婚に、薬師丸さんの家族が難色を示しました。
理由は玉置さんの石原真理子さんとの不倫事件です。
また、玉置さんが前妻との間に生まれた子供のことなど、様々な問題がしこりとなっていました。

しかし最初は反対されたものの、薬師丸さんの家族も玉置さんと接していくうちに真面目な性格や人柄を理解し「これなら娘をあずけても大丈夫」と承諾してくれたのです。
そうして1990年11月末に結納、さらには翌年の電撃挙式に至ったわけです。

薬師丸さんは結婚について以前から「26歳になったら結婚したい」と発言していました。
その言葉が単に願望を表したものなのか、この時を予期していたにかわかりませんが、まさにその言葉通り薬師丸さんが26歳、玉置さんが32歳の時の入籍だったのです。

結納を済ませた前年の1990年11月末には、結婚は秒読みだとされていました。
すでに2人は東京渋谷区にある玉置さんのマンションで一緒に暮らしていたのです。

音楽関係者からも、1990年の玉置さんの秋のコンサートでたびたび薬師丸さんの姿を見かけるようになったとの証言が出たり、薬師丸さんが玉置さんとバンドメンバーやスタッフに玉置さんの好きな卵焼きを始め、手作りのお弁当を差し入れしていることも明らかになりました。

こうした事情から関係者の間では、薬師丸さんはすでに玉置夫人と認められていたのです。
この関係は公然の秘密でしたが、早くケジメをつけて2人の新生活をスタートさせた方が良いとアドバイスを受け、玉置さんも、「それならば新しい年が始まるときに自分たちも新生活を始めよう」と考えたのでした。

そうして2人は1990年12月28日に、それぞれ別々に家族や友人らを伴ってハワイに出発します。
出発前、玉置さんはごく近い関係者に「お騒がせすることになりそうです」と話していたと言います。

また、玉置さんが当時所属していたキティ・レコードの多賀英典社長、玉置さんと親友で作詞家の松井五郎さんらも、ほぼ時を同じくしてハワイに入り、式に出席して2人を祝福しました。

純白のウエディングドレスに身をつつんだ薬師丸さんが父親にエスコートされて、教会のバージンロードを玉置さんの元に一歩、また一歩と進んできた際には、「言葉にならないくらいきれいでした。お父さんと歩いてくる時、すごく感動しました」と玉置さんは語っています。
そして2人は「どんなことがあっても、最後まで一緒にいたい」と永逡の愛を誓ったのです。

感激の挙式を終えた2人は、知人の別荘で開かれた身内だけのパーティーにも参加しました。
ここでも薬師丸さんは、もう一度純白のウエディングドレス姿で祝福を受け、シャンパン乾杯、歌を歌い合ったりして大いに盛りあがったと言います。

その際に薬師丸さんを感激させたのは、知人が心をこめて作ってくれた3段重ねのケーキでした。
2人はハワイ到着以来、別々に過ごしていたので、1991年の1月7日に初めて一緒に夜を迎えることになります。

そこで周りが気を遣ってケーキを持たせ、カパルア・ベイ・ホテルのスイートルームに薬師丸さんを送り込みました。
翌朝、玉置さんはスタッフとゴルフをしていましたが、「昨日は感動の1日でした」と、会う人ごとに言いふらしていたと言います。
1月11日に帰国した薬師丸さんは成田空港で、「奥様の実感は?」という質問に対し、「まだです」と恥ずかしそうに答えていました。

こうして感動の結婚式を挙げた2人…
1998年6月5日に開かれた薬師丸さんの誕生パーティーの席で、玉置さんとの離婚が発表されるまで2人の結婚生活は7年半続いたのです。




Sponsored Links
 



ピックアップ記事

  1. 長者番付からわかるスポーツ選手の年収(1975年)
  2. 大友柳太朗…自殺の原因は「老い」だった?!
  3. 長嶋茂雄…長女・有希に芸能界デビューの話が出たことがあった?!
  4. キャシー中島…長女の夫(猪田武)が再婚していた話はガセ?!
  5. 長者番付からわかるスポーツ選手の年収(2000年度)

関連記事

  1. 1990年代

    後藤久美子…アレジとの出会い・馴れ初めから結婚(事実婚)まで

    1987年の新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞に選ばれた愛称の「ゴクミ…

  2. 1990年代

    あいだもも…高知東生との結婚・離婚から現在は?!

    タレントでもある「あいだもも」さんは、…

  3. 1990年代

    大場久美子…破産や病気に立ち向かった日々

    「一億人の妹」のキャッチフレーズで歌手…

  4. 1990年代

    小松千春…現在までの活動を振り返ってみた件

    1991年度の旭化成水着キャンペーンガ…

  5. 1990年代

    鹿島とも子…オウムから脱退した今現在の活動とは?!

    「坂本堤弁護士一家殺害事件」、「松本サリン事件…

  6. 1990年代

    太地喜和子…事故死の真相とは何だったのか?!

    1992年秋に冷たい雨の降りしきる深夜…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

Sponsored Links
Sponsored Links

最近の記事

  1. 山本譲二…妻の植木悦子との馴れ初めとは?!
  2. 松田聖子…デビュー5年目でも収入はとんでもなかった?!
  3. 牛島和彦…妻の光江との馴れ初めから結婚まで
  4. 八千草薫…メニエール病という病気を患ったことがある?!
  5. 具志堅用高…妻・香澄との馴れ初めから結婚まで
  6. 森繁和…妻・靖子との馴れ初めはファンレターだった?!
  7. 久米宏 …愛人が自殺未遂をして謹慎処分になったことがある?!…
  8. 倉田保昭…クラタスポーツ・スタジオを全国展開しようとしていた…
  9. ジャッキー佐藤とナンシー久美…ジャパン女子プロレスリング設立…
  10. 都はるみ…引退の理由は中村一好が関係していたのか?!
Sponsored Links

おすすめの記事

Sponsored Links

注目記事

Sponsored Links
  1. 1990年代

    瞳リョウ…今は六本木のキャバクラで働いている?!
  2. 2000年代

    出口雅之…現在は音楽ではなく石鹸彫刻でスケジュールが一杯?!
  3. 2000年代

    東城誠(ローランド)の本名…それに名言が意味不明スギル件!
  4. 2000年代

    磯野貴理子…行列のできる法律相談所で元旦那が懺悔?!
  5. 2000年代

    山咲トオル(漫画家)がTVから消された理由をカミングアウト?!
PAGE TOP