1980年代

清水アキラ…なぜ「ザ・ハンダース」を脱退したのか?!




 

素人参加型のバラエティ番組「ぎんざNOW!」(TBSテレビ)のオーディションに合格しコメディアン道場にて5週連続チャンピオンを達成。
その後はコメディアン道場のチャンピオン同士で「ザ・ハンダース」を結成し、リーダとしても活躍していた「清水アキラ」さん。

そんな清水さんがハンダースを脱退したのは、1980年のことでした。
この背景には一体何があったのでしょうか。

清水アキラ

名前:清水アキラ(しみずアキラ)
本名:清水章(しみずあきら)
生年月日:1954年6月29日(65歳)
職場:ものまねタレント、お笑いタレント
所属:清水エイジェンシー
出身:長野県下高井郡山ノ内町
学歴:足利工業大学工学部機械工学科(中退)

清水アキラさん(当時25歳)が正式に「ザ・ハンダース」を脱退することになったのは、1980年6月1日のことでした。
この脱退をもって清水さんは独立し、当時、「あのねのね」として活躍していた清水国明さんに弟子入りすることになったのです。

1976年4月、TBSテレビ「ギンザNOW!」の素人コメディアン道場の出演者6人を集めて結成された「ザ・ハンダース」。
1978年5月に前リーダー小林正弘さんが独立して、メンバーは5人になっていました。

「6人だから半ダース」…
それを文字ってハンダースと名付けましたが、すでに5人になっていたのです。

それでも、

チャンバラトリオは4人でやってる。5人でもハンダースとシャレていこう。

と開き直って、清水さんをリーダーに活動してきました。

ところが、今度はその清水さんが抜けることになったのです。
立役者を失って、とうとう4人になってしまったハンダースは、まさにグループ存続の危機に直面してしまいました。

結果的に、仲間を窮地に落とし入れることになった清水さん…
そもそも、なぜ脱退することになったのでしょうか?

その理由に関して、清水さんはこのように答えています。

やっぱり、グループの中にいると自分の思うような仕事ができない。それが一番の原因です。僕は昔から堺正章さんを目標にしてきたけど自分の年齢(当時25歳)を考えた時、今、芸を広げなきゃとても追いつけない。だが、ハンダースにいる限り、グループの決まりの中で仕事をするしかないですからね。

このジレンマに悩み始めたのが1979年の夏頃。
悩み出す気力も衰え、ステージでアクションをやった後などは、ガックリと疲れるようになったと言います。

僕が最年長で、他のメンバーより2歳も年上。年齢的な限界かとも思ったけれどハンダースの中でやってることの辛さからくる精神的な疲労の方が強いみたいでした。そんな時、ちょうど僕の結婚問題が煮つまり、テレビの番組を通して知り合った先輩の清水国明さんに仲人を頼むことにしたんです。仲人の相談をしてるうち、清水さんにその悩みを打ち明けたら、「それじゃ独立してやってみなよ。行くところがないなら、俺の軒下を貸してあげる」と言われ、それで決心がつきました。

とも語りました。

当時、清水さんと4年越しの交際をしていた妻・めぐみさん(当時24歳)との結婚問題も、脱退の話と同時進行していたのです。
こちらは1980年4月25日、清水さんの地元・長野県湯田中で挙式を済ませ(東京での結婚披露宴は6月5日に目黒の八芳園)ていました。

通常であれば、独立して仕事が執道に乗ってから結婚…
というふうにもなりそうですが、その点に関して清水さんは、

本来ならそうなんでしょうが、どちらもズルズルというのでは、仕事も私生活もうまくいかない。結婚ということも脱退のために弾みになったことは事実ですから、あえて結婚を延ばす気はなかったですね。

と答えています。

脱退のこともめぐみさんには事後承諾という形で伝えたとのことで、背水の陣で進んで行こうと決心したのでした。

一方で、残された4人のメンバーのことに関して聞かれると、

やはり、先頭切っていた者が辞めるんですからね、決して喜んでくれてはいないでしょう。腹の中では「なんだ、このヤロー」と思っているのではないですか。それだけに今では申し訳なくて、仕事以外ではメンバーと顔を合わす気にはなれなかったですね。まあ、一人一人が素晴らしいアイデアを持っているグループなんだから、これからは自分たちのやりたいことを自由にやっていけるグループになって欲しいと思うんですが…

とコメントしたのです。

実際に残された形になった4人は、

最初、6人だったのが4人になるんですから、これはもう倒産寸前ですな。不景気の風がこっちに吹いてるから、ここから這いあがるのが大変だと思う。正直言って清水くんは羨ましいけど、こっちは自分たちの将来を考えるのが精一杯ですよ。どうやら僕が次期リーダーらしいけどリーダーになると辞めるというジンクスができたみたいだから、あんまりやりたくないなぁ。

と佐藤金造(現:桜金造)さんが語れば、アゴ勇(現:あご勇)さんは、

危機感?そんなのありませんよ。4人でやってけばいいんじゃないですか。僕は会社に借金があって、足抜きができない身だから…

とコメント。

鈴木末吉(現:鈴木寿永吉)さんは、

5人だとみんな考え方が違うから、辞めていく人が出るのも当然です。これからはみんながリーダーでやっていけばいい。新メンバーは入れません。ハンダースは地獄ですから。

と答え、アパッチけん(現:中本賢)さんは、

ハンダースは「一人では何もできない」というので集まったグループ。そのうち独立していくのはいいんじゃないの。

と答えたのです。

また、師匠とされた清水国明さんは、

弟子入りなんてとんでもない。彼の芸には僕も惚れ込んでいる。あいつが歌(ハンダースの想い出の渚)の中でやったモノマネには思わず唸(うな)ったもんや。とにかく天才的なところがあるやつだから、それを活かして好きなようにやってもらいますよ。今は彼のために適当な番組を物色中ですが、ウチに来たらこっちのもんや。心配ない心配ない。

と語っていました。

しかし、結局はこれを機にハンダースはこの年に解散。
清水さんによると、元々は所属していた渡辺プロの意向で組まされた音楽グループであったため、メンバーの仲はあまり良くなかったのだと言います。

その後、メンバーはピンでの活動を始め、2007年11月21日、2010年7月にコンサートが行われましたが、メンバー全員がそろうことはありませんでした。




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