1980年代

克美しげる…愛人(岡田裕子)絞殺事件の服役を終えて語ったことは?




 

ロカビリー・ブームに乗って、ヒットポップスの日本語カバーでヒット曲を連発していた元歌手の「克美しげる」さん。
1963年にはテレビアニメ「エイトマン」の主題歌を歌ったり、NHK紅白歌合戦にも出場していました。

しかし、1976年5月6日に愛人であった岡田裕子さん(当時35歳)を殺害し、3日後に逮捕されています。
この年の8月23日には東京地方裁判所にて懲役10年の実刑判決を受けました。

芸能界を揺るがすこの愛人絞殺事件…
出所した克美さんは何を語ったのでしょうか。

名前:克美しげる(かつみしげる)
本名:津村誠也(つむらせいや)
生年月日:1937年12月25日~2013年2月27日(享年75歳)
職業:元歌手
出身:宮崎県宮崎市
学歴:宮崎県立宮崎大宮高等学校




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1983年10月28日午前7時、克美しげるさんは身元引受人の大谷羊太郎さんに迎えられ、大阪刑務所の門を出ました。
大谷さんは推理作家でもあるのですが、元々は克美さんのバンド仲間で事務所でマネージャーもしていたという縁で、服役中の克美さんの相談に乗っていたのです。

関東法務局で出所後の手続きを済ますため、克美さんは大谷さんの車で東京へ向かいました。
その日は、澄みきった青空が広がる秋晴れで、「これからの人生、このきれいな空のように生きていきたい…」と、7年半振りに社会復帰した克美さんは感じたと言います。

克美さんは1976年5月6日、愛人で同棲していたホステスの岡田裕子さんを絞殺し、遺体を車のトランクに入れ、羽田空港の有料駐車場に乗り捨てました。
やがて遺体が発見され、新曲「おもいやり」のキャンペーンのため北海道を巡業中だった克美さんは逮捕。

この年の8月に殺人及び死体遺棄の罪で懲役10年の判決を受け、大阪刑務所で服役していました。
ただ、入所以来、模範囚を通したため2年8カ月の刑期を残し、この日に仮出所が認められたのです。

克美さんは10月28日の夜は、埼玉県浦和市にある大谷さんの家に泊まりました。
すぐに仮出所を知ったマスコミが克美さんの取材にやって来ます。

「老けたなあ」というのが、取材陣の第一印象でした。
逮捕当時は、まだ青年の面影を残していた克美さんでしたが、出所後は痩せて、顔にも深いシワが刻まれ、老服鏡をかけていると初老の年代かと思うほどだったと言います。
克美さんはインタビューに心境などを告白しました。

記者「今の心境は?」

所内では心の中で反省し、ご冥福を祈ってきましたが、これからは本当の意味で、行動で罪を償う人生が始まるのだと思っています。

記者「出所してから、まず最初に何をしようと考えているか?」

とにかく、向こうのご両親にお会いしてお詫びし、許されればお墓参りをさせてもらいたいです。

記者「ご両親が許さなかったら?」

それは…どんなにお詫びしても許されるものではありませんが…どんなお叱り受けても、誠心誠意、罪を償わせて頂きたいと思います。

記者「岡田さんの両親は、あなたが“結婚を迫られたため殺した”と述べたことに納得していないようですが」

それまでの生活の中で尽して頂いて、それを踏みにじったということは、人として到底許されることではありません。私自身が悪かったのです。誰のせいでもありません…

記者「今、岡田さんのことをどう思っているのか?」

本当に申し訳ない気持ちで一杯です。全て私が悪かったと…

記者「別れた奥さん(判決後後婚)とお子さんに会う気持ちは?」

私が社会復帰したことで向こうに迷惑がかからないよう、遠くから幸せを祈って見守ります。それしかありません…

記者「出所してからの具体的な仕事は?」

芸能界には、計り知れないご迷惑をおかけしました。また、やらせて頂くことなどとても出来ません。私としては何か新しい生き方を見つけたいと考えています。具体的には引受人(大谷さん)の手伝い、助手などを務めて、早く償いを果たせるような生活を築きたいと思っています。

記者「刑務所で作曲をしたそうですが」

更生するための勉強の一環としてやっただけで、本格的なものではありませんから…

翌29日は克美さんマスコミを避けるようにして車で京都へ向かいました。
静養した後、31日には岡山市に住む岡田さんの実家へ向かったのです。

しかし、

法廷では自分の罪が軽くなるように嘘の供述をしている。本当は、裕子が金を貢げなくなったから(裕子さんは克美さんの多額の借金を払うため風俗に勤めたりしていた)殺したのではないか。

と語っていた父親の岡田数雄さん、母親の房江さんも、

真実を告げることが本当の償いです。28日に大谷さんから連絡を受けた後、裕子の霊に「これから本当のことを教えてもらうよ」と報告しました。真実の言葉を聞けなければ、償いになりません。

と告げ、この日は会見を拒否されました。

一生、罪を背負って悔悟の道を歩く覚悟です。

と語っていた克美さん。

その後は、大谷さんの助けを得て音楽事務所やカラオケ教室を開き、事件から7年後の1983年10月に再婚しています。
しかし、1989年5月11日には覚せい剤取締法違反(不法所持)で逮捕され、懲役8ヵ月の実刑判決を受けました。

1996年には31歳年下の女性と4度目の結婚を果たすも、その後は心臓病や脳梗塞、顔面麻痺などの病気に相次いで襲われます。
これらの病気も徐々に回復の兆しを見せ、2000年代にはテレビ番組にも出演するようになりました。

しかし、2013年10月2日にこの年の2月27日に脳出血により亡くなっていたことが明らかになります。
享年75歳。
芸能史に残る事件を起こした元歌手のこれが最期でした。




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