タレントでエッセイストの「高見恭子」さん。
1994年に当時プロレスラーで衆議院議員でもある馳浩さんと結婚し、2人は2015年に「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」を受賞しています。
しかし、実は高見さんは馳浩さんとは再婚で、過去に医師の松原正裕さんと結婚し、すぐに離婚しているのです。
今回はそんな高見さんの過去のスピード離婚に関するお話です。
名前:高見恭子(たかみきょうこ)
本名:馳恭子(はせきょうこ)
生年月日:1959年1月5日(60歳)
職業:タレント、エッセイスト
所属:株式会社ワタナベエンターテインメント
出生地:東京都渋谷区千駄ヶ谷
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馳浩さんと再婚する4年前…
1990年5月に高見恭子さんは一度結婚しています。
その相手とは元夫で美容整形外科医の「松原正裕」さんでした。
2人は1990年5月31日に出会ってわずかひと月、4回のデートで電撃入籍しました。
しかも、その入籍は高見さんの母親や所属事務所も知らなかったのです。
それでも1990年9月5日にはハワイのマウイ島で挙式…
9月24日には東京・高輪プリンスホテル貴賓館で披露パーティーを執り行いました。
けれども新婚生活は長くは続かず、同年11月の末にはすでに離婚届を提出していたことが判明したのです。
入籍からわずか半年後のスピード離婚…
一体、2人の間には何があったのでしょうか?
このスピード離婚に関して、1990年12月15日に高見さんは会見(取材)を行っています。
当時、約束の取材場所に姿を見せた高見さんは、「こんにちは~」と、いつも通りの笑顔で明るく挨拶し、離婚のショックなどないような様子でした。
しかし、離婚に至るまでの経緯を語り始めると、「おめでとうと言ってくれた人たちに申し訳ありません。たくさんのお祝いも頂いたのに…」と、さすがに辛い思い出が込み上げてくるのか、時おり涙を浮かべて言葉もつまりながら苦しい胸中を告白したのです。
スピード離婚の原因については、「これまでずっと別居していた」、「松原さんの女性関係」あるいは「金銭問題が絡んでいる」などと取り沙汰されていましたが、それらの意見をきっぱりと否定しました。
離婚した人ならわかると思いますが、離婚しなければならないほと悲しいことが原因です
とだけ語り、あとは察してくださいとばかりに頭を下げたのです。
離婚届については、
ある日家に帰ったら、彼から「離婚届出しちゃったよ」と言われました。今日は何のご飯を作ろうかな、彼に何を食べさせてあげようかと考えていたんで、まるで夢を見てるようでした。でも、今でも彼を好きです
と離婚が唐突な申し出であったことを告白しました。
ただ、一方で離婚届に高見さんの署名や捺印が事前になされていたことについては明らかになっていません。
松原さんについて高見さんは、
ある日突然来て(現れて)結婚して、クシャミかなんかしてる間にいなくなっちゃったという感じかな。まるで嵐のようでした
と、まだ現実に起こったことなのかどうかわからないといった様子だったのです。
結婚を言い出したのは松原さんの方からだったのですが、離婚も松原さんからの申し出でした。
結婚した時と同じように、私は彼の望むようにしてあげたかった。5、6年経ってから、やっぱりダメだったねと言われるより、早く結論を出してくれた彼の優しさに感謝したいと思います
と語った高見さん。
原因は一言で言えば、全ての物に対する感じ方・考え方の違いです。でも、私はいつも歩み寄ろうと思ってました。私は(彼が)好きだから結婚したんで、考え方の違いがわかってからも、好きだという気持ちは残っていたので頑張りたかったのですが…
と涙ながらに高見さんは告白を続けました。
結婚生活は楽しかったです。ほんの少しの間だけど、うちの夫がね、と話すことができてとても幸せでしたから
離婚届を提出してから松原さんとは連絡をとっていないという高見さん…
それでも気を取り直したのか、最後に「これで(結婚に)懲りたわけではありません」とコメントしたのです。
その言葉通り、高見さんは1994年に馳浩さんと再婚し、2人の間には娘の鈴音(りおん)さんが生まれています。
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