1960年代から70年代にかけて劇団主宰者、映画監督、歌人、競馬評論家など多方面で活躍し、時代の寵児だった「寺山修司」さん。
「アングラの教祖」と呼ばれた彼は、1980年に住居不法侵入で逮捕されているのです。
この点がネット上でも「サイコパス」と言われている一因なのですが、目的はのぞきだったのか、はたまた創作のための取材だったのか?…
今でもその真相はわかりません。
名前:寺山修司(てらやましゅうじ)
生年月日:1935年12月10日~1983年5月4日(享年47歳)
職業:歌人、劇作家
出生地:青森県弘前市
学歴:早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)中退
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1980年7月13日夜10時、東京都渋谷区のアパートの1階でテレビを見てくつろいでいたアパート所有者の長男Kさんが、建物と塀の間の路地状になった庭を、サンダル履きの男がうろついているのに気がつきます。
男はアパートの2階への階段を上ろうとしており、その2階の5部屋の254室には独身女性が入居していました。
Kさんは「またか」と思い、窓から裸足で飛び出し、怪しい男の腕をつかみ、「何をしているんだ!」 と問いただすと、男は「犬の散歩の途中だ」答えましたが、そんな犬はどこにもいません。
すぐにKさんの家族は110番に通報し、男は抵抗することもなく、すぐにやってきた渋谷署のパトカーに引き渡されました。
そして住居不法侵入で現行犯逮捕…
この男こそ、アパートから200メートルほどの近所に住んでいた寺山修司さん(当時44歳)だったのです。
寺山さんは2日後に釈放されましたが、略式起訴され、8000円の罰金刑を受けました。
実は寺山さんは起訴に至らなかったものの、同じアパートで5年前にも騒ぎを起こしていたのです。
その時の寺山さんは「甚平の上だけを着ていたが、パンツもはいておらず下半身丸出しの姿」でKさんの部屋をのぞいていたといいます。
この時も、逃げる寺山さんをKさんや近所の若者が取り押さえて警察に引き渡していました。
逮捕の報を受けて、取材した週刊誌には続々と寺山さんの奇行に関するエピソードが掲載されます…
別のアパートの大家によると「夏の夜、パンツ一丁で庭先に立っていて、追いかけたら逃げた」、近所に住むモデルの女性は「夜ホームパーティーをしているところを垣根越しにのぞかれていて大騒ぎになった」と語りました。
これらの「のぞき」の告発に対して寺山さんは、
今回、アパートの敷地内に入ったのは『路地』という本の準備をしていてその取材中に間違えて入っただけ。のぞき目的ではない
下半身丸出し、パンツ一丁というのは事実無根
と弁明したのです。
その弁明に対して、”前衛芸術家の創作活動の一環”と理解を示する人もいましたが、やはり一般には通じませんでした。
それまで、寺山さんは1967年に設立したアングラ劇団「天井桟敷」代表として小劇場ブームを巻き起こし、映画監督としても1971年公開の「書を捨てよ、町へ出よう」でサンレモ映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を得ていました。
また、寺山さんが出身地の青森弁で朴訥に芸術を語る口調をタモリさんがモノマネして話題にもなってもいたのです。
寺山さんはその後、メディアの露出がパタリと減り、翌年肝硬変を発症し、1983年に肝硬変とそれに併発した腹膜炎と敗血症で47歳の短い生涯を終えました。
「鬼才」の名を欲しいままにした前衛芸術家が晩年に起こした「サイコパス?」とも囁かれる不可解な事件だったのです。
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