1980年代

山本譲二…交通事故で全治2ヵ月の重傷を負ったことがある?!




 

「みちのくひとり旅」が大ヒットして、その名が知られるようになった演歌歌手の「山本譲二」さん。
そんな山本さんは、2017年10月12日放送の「バイキング」(フジテレビ系)に出演した際、自身が中央高速道路で追突事故に巻き込まれたことを明らかにしています。

しかし、その30年以上も前の1986年に、実は山本さんは全治2ヵ月の重傷を負うほどの交通事故に遭ったことがあるのです。
今回はその当時にお話をご紹介したいと思います。

名前:山本譲二(やまもとじょうじ)
生年月日:1950年2月1日
職業:演歌歌手
所属:ジョージ・プロモーション
レーベル:テイチクエンタテインメント
出身:山口県下関市
学歴:早鞆高等学校




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事故は、1986年2月15日の午前9時55分に起こりました。
その日の朝、山本譲二さんは青森市文化会館で行なわれる、第7回NHK東北民謡コンクール青森大会にゲスト審査員として出席するため、三沢空港に降り立ったのです。

空港にはNHKの車が迎えに出ていて、山本さんはマネージャーと2人で車に乗り、青森市内に通じる“みちのく有料道路”を走ることになりました。
この時、山本さんはハイヤーの運転手さんに、「少し眠りたいから、ゆっくり走ってください」頼んで、後部座席に横になったのです。

と言うのも、その前日に山本さんなかなか寝付けず、ウトウトしたと思うとすぐに目が覚めてしまうといったような寝苦しい一夜と過ごしていました。

加えて15日の早朝、家を出る時も何か妙な胸さわぎがして、子供の頃に母親から教えられた通り、塩を厄除けのために玄関ドアの前に盛っていたのです。

本当はさらに塩水を飲まなければいけないそうなのですが、急いでいたのでそれは省略しました。
「この省略がいけなかったのかもしれないな」と山本さんは後に冗談で語っています。
しかし、山本さんが何か悪い予感がしたのは確かでした。

道路は連日の積雪のために氷結し、車も40キロくらいのスピードしか出していなかったのですが、ゆるいカーブに差しかかった時、向こうから走ってきた対向車が突然スリップして、山本さんの車に正面衝突したのです。
車はそのままガードレールに激突しました。

双方の車は大破しましたが、運転手も助手席に乗っていたマネージャーも、奇跡的に軽傷を負っただけで無事だったのです。
しかし後部座席で仮眠していた山本さんは 衝突のショックで体がシートの間に倒れ込みました。

後から来た地元の人の車に乗せてもらい、山本さんは青森県立中央病院に担ぎ込まれ、ただちに診療を受けましたが、ムチ打ちの上に左腕を打撲していてかなりの重傷だったのです。
山本さんの話では診療中にも気分が悪くて4回も吐いたそうです。

それでも山本さんは、一旦ホテルで休憩した後、文化会館でのコンクールに出席し、満員の職衆の前で「北情歌」を歌いました。
しかし、胸の痛みは激しく、特に高音部を歌う際には息ができないほど苦しかったと言います。

当初は4曲歌う予定でしたが、1曲歌うのが精一杯…
とてもステージに立てる状態ではありませんでした。

そのまま山本さんは、当日の東北新幹線、上野駅22時34分着の“やまびこ74号”でトンボ帰りします。
上野駅に駆けつけた記者にも、左腕を三角巾で吊り、右手で胸をかぱうようにしながら、

とにかく首が動かせないし、息が吸えないのが辛いんです。

と苦しみを訴えました。

そうして、

雪がガードレールの上に1メートルも積もっていたのが、結果的には良かったようです。ガードレールの下は50メートルの絶壁で、雪が積もっていなかったら、転落死は間違い無しだって警察で言われました。

と辛そうな表情で語ったのです。

山本さんはその足で東京新宿区河田町にある東京女子医大病院に入り、脳波とレントゲン検査を受けました。
検査は深夜2時頃までかかりましたが、腕、胸、脇腹に打撲はあるものの、骨の異状はなく、これが不幸中の幸いだったのです。

帰宅した山本さんは、すぐに当時9年越しの恋人と言われ、後に妻となる「植木悦子」さん(当時31歳)に電話しました。
ラジオのニュースで「山本譲二重傷!」の一報を聞き、連絡のあるのを寝ないで待っていた悦子さんに、「ヤマちゃん、元気だからネ!」と、ことさら明るくふるまって声を聞かせたのです。
悦子さんはこのニュースを聞いた時、「心配で思わず体が震えた」と言います。

事故翌日の2月16日は、茨城県境町の総合体育館で、地元の商店街が主催する柏原芳恵(かしわばらよしえ)さんとのジョイント・ショーが控えていました。
15日の夜は、痛みで一睡もできなかった山本さんですが、クビにギプスをはめ、左腕に三角巾を吊って会場に駆け付けたのです。

楽屋に入っても、大きく息を吸うと胸が激しく痛みました。
山本さんが当時所属していた北島音楽事務所の大野専務は、「その状態ではとても無理だ。絶対に歌うな!」と、自らステージに上がって、前日の怪我の経緯を説明して、体育館を埋めつくした1800人の聴衆の了解を取りつけたのです。

しかし、責任感の強い山本さんは、

本当はいいスーツでキメたかったんですが、こんな格好で失礼。でも僕も歌手ですから、話だけで引っ込むのも切ない。とにかく1曲歌います。

とオーケストラの伴奏にのって「北情歌」を歌いました。

当然、会場は、割れんばかりの拍手の嵐…
これに気をよくしたのか、続いて「奥州路」、そして北島三郎さんの「兄弟仁義」と、痛みを押して、結局、合計3曲を歌い切りました。

しかし楽屋に帰ると、やはり胸が疼(うず)きます。
そこで急きょ、同じ北島事務所の松原のぶえさんを東京から呼び寄せ、夜の部は山本さんが最初「北情歌」を歌い、2曲目は松原のぶえさんとデュエット曲を歌って、どうにかこうにかコンサートを終えました。

その後、2月17日に東京女子医大病院が出した正式の診断書のよると、“左腕神経叢不全麻痺(さわんしんけいそうふぜんまひ)”というもので、頸椎捻挫のため、約6週間の局所安静及び加療を要するという結果が出たのです。

2017年6月30日に出演した「訂正させください」(フジテレビ)で、右耳の聴力を失ってから8年が経過し、左耳も聞こえなくなっていることを告白した山本さん。
昔から歌手としてファンのために全力で立ち向かう山本譲二さんに、この時もブログ(アメブロ)などにたくさんの応援コメントが寄せられていました。




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