1980年代

植村直己…妻・公子の出会いと最後の言葉とは?




 

1970年に世界初五大陸最高峰登頂に成功し、1978年には単独北極圏到達するといった数々の偉業を成し遂げた冒険家の「植村直己」さん。

そんな植村さんが亡くなったのは1984年2月、世界初のマッキンリー冬期単独登頂を成功させた後のことでした。

名前:植村直己(うえむらなおみ)
生年月日:1941年2月12日~1984年2月13日頃(享年43歳)
職業:登山家、冒険家
出身:兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)
学歴:明治大学農学部




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植村直己…マッキンリー登頂に成功するも最後まで発見されず

1983年の10月20日、植村直己さんは「ミネソタの野外活動の学校へ行く」と言って家を出ました。
妻・公子(きみこ)さんが生きている夫の姿を見たのは、それが最後でした。

その時、マッキンリー登頂の計画はすでに整っていたのですが、植村さんはそれを公子さんに明かしていません。
結婚して10年、常に夫の身を案じ、「冒険はやめて」と言い続けてきた妻に、植村さんは決して計画を話しませんでした。
話せば余計に心配するからという気遣いだったのです。

「すぐ帰ってくるから…」よ、まるで日帰りの山歩きに出かけるような、そんな気軽な言葉を残していったのも、いつもの通りでした。

ただ、今回はいつもと違うこともありました。
冒険に出かけてしまえば、家のことを忘れてしまう植村さんが、いつになく頻繁に、公子さんに電話をかけて来たのです。

「悪い悪い。またかけちゃった」と言いながら、コレクトコールで自宅にかける電話代が、毎月10万円を超し、1月には13万円にもなりました。

1月25、26日頃、アラスカから電話がありました。

これからマッキンリーに登る。2月の15日頃に下りるから、キミちゃんもアンカレッジにおいでよ。

と植村さん。

あまり人様に迷惑をかけないようにして帰ってね。

と公子さんが言うと、

うん、わかった。そうするよ。

と答えたと言います。
公子さんが生きている植村さんの声を聞いたのは、それが最後でした。

猛吹雪の中、植村さんは2月12日、自分の43才の誕生日に、マッキンリーの頂上に立ちます。
しかし、下山途中の13日から連絡が途絶えてしまうのです。

公子さんはこの時、東京・板橋区前野町にある植村さんの自宅にいました。
心配で心配で、3日間ぐらい泣いていたという公子さん。

下山途中に行方が分からなくなり、やがて飛行機が姿を見たという報告が入りましたが、喜びもつかの間、植村さんの姿は再び猛吹雪の中に消えてしまったのです。

後になって、この2月16日にアメリカ側捜索隊の飛行機が「植村さんの姿を見た」というのは、最終キャンプとして使っていた雪洞に大量の装備が残されていたことから、誤認ではないかと言われています。

それから25日目の3月9日、現地で捜索していた明治大学山岳部OB隊は、生存の確率は0パーセントと判断し、ついに植村さんの捜案打ち切りを決定しました。
これで不死身の超人と言われた植村さんの生存は絶望的となったのです。

この日、公子さんは25日間の心労でやつれ切った姿をメディアの前に現しました。
「今、植村さんにおっしゃりたいことは?」と記者に問われた公子さんは、必死に涙をこらえながら、

常々、「冒険とは生きて帰ることだ」と偉そうに言っていたのに、これではだらしがないじゃないの。そう言いたいです…

と語り、

植村と一緒に暮らせて幸せでした。彼とめぐり合えて良かったと思っています。

とコメントしました。

植村さんはマッキンリー登頂に成功するも、最後まで発見されませんでした。
2011年5月になって、地元レンジャーがデナリ山腹に植村さんの遺体があるとの情報が出ましたが、発見はされることはなかったのです。




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植村直己…妻・公子の出会いと馴れ初め

植村直己さんと公子さんは、1974年6月に結婚式を挙げました。
この時、公子さん36才で、植村さんより3才年上の姉さん女房でしたが、仲人をした明治大学OBで、新日本プロレス取締役であった大塚博美さんはこのように語っています。

公子さんはとてもしっかりした大和撫子タイプ。いわゆる姉さん女房のような所は、感じられませんでしたね。

公子さんが植村さんと知り合ったのは結婚前年の1973年、友達の経営する板橋区仲宿のトンカツ屋に出入りしていた時のことです。
植村さんはそこの常連でした。

この時すでに5大陸の最高峰を征服し、世界の植村となっていた植村さんは、「もう山登りなんかしないから」と言って公子さんを説得し、結婚を0Kさせたのです。
つまり、植村さんの方が公子さんに惚れ込んで結婚していたのです。

けれども、植村さんは友人達には、「悪い女につかまって、結婚するハメになった」と言いふらし、外では「女房よりソリを引いてくれた犬の方が可愛い」などと公言していました。

もちろん、これは本心ではなく、一種の照れ隠しのようなものでした。
第三者がいると成張っていましたが、二人きりになると優しい夫だったのです。

妻が眠っている内にご飯を作り、掃除も済ませ、「キミちゃん、ご飯ができたよ」と起こしてあげたりしたと言います。

「山登りはしない」という約束は結婚直後、すぐに破られてしまいましたが、それでも

僕の体は女房のもの。今までは考えると同時にパッと体が動いていたのが、安全かどうか確認しなくちゃ足が出なくなった。

と語るほど、結婚してから考え方が変わったのだと植村さんは語っています。

遭難直前にも、

帰る場所はやっぱり女房のもとしかないね。

とも話しており、公子さんも、

家庭では気の弱い、寒がり屋で、かわいい人でした。

と語っています。

意外なことに北極で白熊と闘ったこともある植村さんは、家ではゴキブリも殺せない人だったと言います。
ゴキブリが出て来ると、退治するのはいつも公子さんの役目でした。

また、極地を何千キロも歩き回っている植村さんですが、東京に帰って来ると、すぐ道に迷ってしまい、日常生活では決断力が鈍く、いつも公子さんをヤキモキさせていました。

「冒険はやめて」と公子さんは頼み続けるも、「僕にはこれしかない」と拒み通した植村さん。
結局、公子さんは10年の結婚生活のうち、一緒に過ごしたのは、その半分ほどでした。




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