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2015年4月22日にバイク事故で亡くなった俳優でタレントの「萩原流行」さん。
亡くなった場所は東京都杉並区高円寺南の青梅街道で、転倒したハーレーダビッドソンのそばに倒れているところを発見されました。
萩原さんは病院に搬送されましたが、約1時間半後の午後7時26分に都内の病院で死亡が確認されています。
事故は左から車線変更してきた護送車と萩原さんのバイクが接触したことで転倒、その勢いで萩原さんは右車線に投げ出され、走ってきた乗用車にひかれてしまったというものです。
この事故に関しては、警察の見解にいくつもの疑問点が生まれており、様々な憶測が飛び交ったのです。
名前:萩原流行(はぎわらながれ)
本名:萩原光男(はぎわらみつお)
生年月日:1953年4月8日~2015年4月22日(享年62歳)
職業:俳優、タレント、ダンサー
出身:東京都世田谷区
学歴:世田谷学園高等学校
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萩原流行…過去の事故とうつ病に関して
実は萩原さん、このバイク事故の前に何度か交通事故を起こしていた過去がありました。
2013年1月17日、東京都杉並区の西荻北の交差点で、萩原さん運転する乗用車が50代の女性の自転車と接触しています。
女性は軽傷で命に別状はありませんでした。
また、その約1年後の2014年2月には、東京都杉並区で萩原さんが運転する乗用車が交差点内で乗用車に接触しています。
さらに、この年の10月25日にも、東京都杉並区西荻北3丁目の道路で、萩原さんが運転する乗用車が50代の男性に後ろから接触するも、そのまま走り去ったという疑いが持たれていました。
男性はこの時、左腕に約2週間の怪我を負い、翌年3月下旬に自動車運転処罰法違反(過失傷害)などの疑いで萩原さんは書類送検されています。
加えて、2015年3月23日には、都内の路上で大型バイクを運転中に転倒し、自損事故を起こしています。
この時、萩原さんは検査入院をするも、頭部と右手甲を打撲する軽傷で済んでいます。
このような過去の事故歴に加えて、萩原さんはうつ病を患っていることをテレビ番組で告白していました。
そのため、抗うつ薬の副作用が事故の背景にあったのではないか?と疑われたのです。
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萩原流行…バイク事故に関するいくつもの疑惑
こうした過去の事故やうつ病については、マスコミでも多く取り上げられ、中には自殺説まで飛び出した萩原さんのバイク事故。
しかし、その報道や警察の見解に疑問を持っていたのが、妻で舞台女優でもある「萩原まゆ美」さんでした。
確かに警察の発表には不自然な点がいくつもあったのです。
まずは事故当初、警察は護送車をワンボックスカーと発表していました。
翌日の23日になって、「萩原さんの前方で高井戸署の護送車が車線変更していた」と発表したものの、当初は警察車両であることを隠していたのです。
また、この護送車には当時、高井戸署の袖崎賢訓警部補と高井戸署員2人が留置中の容疑者1人を護送するため乗っていました。
バイクとの接触に関しては、「車線変更後、ドンと何かが転倒するような音が聞こえた。バイクに当たった感覚はなかった」とコメントしているのです。
当初は、「気付かなかった」とコメントも出ていましたが、護送車は右側の前輪の近くには転倒した萩原さんのバイクのタイヤ痕が残っており、大型のハーレーダビッドソンが接触した感覚がなかったという点は明らかに不自然でした。
加えて事故直後、警察は萩原さんの死因を「心房破裂」と発表していました。
しかし、その2日後に監察医の作成した死体検案書には、「直接死因 不詳」、「受傷から死亡までの期間 不詳」に変わっていたのです。
さらに、現場検証には7時間、50人もの捜査員が動員され、1つの事故にこれだけの時間と人員が割かれることは異例で、警察が何かを隠ぺいしてるのでは?との声もあがっていました。
一方、妻・まゆ美さんと弁護士が立ち合った実況見分では事故を起こしたとされる運転手の姿はなく、当事者が不在のまま行われたのです。
これらの点からも、警察が何かしらの事実を隠しているのではないか?と感じるのは当然のことで、警察側の様々な疑惑に対して、まゆ美さんは「萩原流行の名誉の回復、着せられた汚名をすすぎたい」と、2015年7月1日に会見を開き、改めて警察への闘争を宣言したのでした。
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萩原流行…バイク事故の真相
特にまゆ美さんが許せなかったのは、警察側の情報操作の疑いがあった点です。
当時、この事故が明るみに出ると、萩原さんの過去の事故やうつ病などに関して、情報が歪曲されて公開される傾向にありました。
例えば、2013年1月17日の事故に関しては、検事による現場検証で萩原さんの責任でないことがわかり、不起訴になっていました。
また、2014年10月のバイク事故に関しても、証拠も不十分であるにも関わらず、警察は2015年4月になって「ひき逃げ書類送検」と発表したのです。
さらに、「事故を起こしたのは今回だけではない、死亡した本人にも問題がある」など、関係のない前の事故の話を持ち出したり、萩原さんの事故がいかにもうつ病が原因だったかのようなイメージを植え付けられたと、まゆ美さんは憤慨していたのです。
そうして、まゆ美さんの努力の甲斐もあってか、2016年8月30日に東京簡裁は警視庁の護送車が萩原さんのバイク転倒の原因になったとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)罪で、運転していた高井戸署の袖崎賢訓警部補に、罰金70万円の略式命令を出しました。
護送車が安全を十分に確認せずに車線変更し、衝突を避けようとした萩原さんのオートバイを転倒させ、後続車に萩原さんがはねられたのだと認められたのです。
それに際し、護送車はウインカーを出して車線変更していたものの、袖崎警部補はライトを付けた萩原さんのバイクに気付いていたが、「譲ってくれるだろうと思った」と供述しています。
また、警部補らは「ひいた感覚はなかったが、ドンとバイクが転倒した音が聞こえた」と当初の意見を翻しています。
地検は萩原さんの運転について、「落ち度はなかった」と説明し、また萩原さんをひいた乗用車の運転手で男性会社役員も書類送検されましたが、「避けるのが困難だった」として不起訴処分にしました。
警察官が略式起訴されたことについて、高井戸警察署の高橋靖夫署長は「署員に対する交通事故防止の指導教養を徹底して参ります」とコメント。
まゆ美さんは2015年6月24日の8時30分頃、マスコミ各社にメールで杉並署から受けた説明に関して報告しました。
そこでは事故発生の原因として「警察車両が線路変更する際、安全確認不足により、萩原の転倒に影響を及ぼした」と記されていたのです。
事故から1年以上が経って、警察側が護送車の不注意を認めたのことが公(おおやけ)になった瞬間でもありました。
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