1980年代

金田賢一…嫁・梓のぼる(大村由美子)との馴れ初めとは?!




 

金田賢一さんと言えば、あの400勝投手・金田正一さんの長男であることでも知られています。
父親の正一さんの友人だった長門裕之さんが製作に係わっていた1978年の映画「正午なり」でデビューして以来、明るいキャラクターでも人気を得ていました。

そんな賢一さんが嫁の梓のぼる(本名:大村由美子)さんと婚約・結婚の話題が出たのは1985年のことでした。

名前:金田賢一(かねだけんいち)
生年月日:1961年8月22日(57歳)
職業:俳優
所属:オフィスコットン
出生地:兵庫県
学歴:成城大学(中退)




Sponsored Links
 

金田賢一さんが結婚相手として見初めた相手は、元・宝塚歌劇団花組で男役の「梓のぼる(本名:大村由美子)」さんだったのです。

二人の出会いは1983年頃。
母・敏子さんが宝塚出身ということもあり、人並み以上にタカラジェンヌに関心があったという賢一さん。

1983年の宝塚・東京公演の稽古場を知人の紹介で訪ねた時、同じく宝塚のトップスター・大地真央さんに似ていると感じたのが梓のぼるさんでした。
その時、梓のぼるさんはコーラスの指揮をしていたのです。

その日、知人の家に夕食に招待されたのですが、行ってみると梓のぼるさんも来ていました。
二人は話し込むうちに意気投合し、帰り道が同じ方角だったこともあり、賢一さんは梓のぼるさんを送ることになったのです。

その際に、

もっと早く会えたら一緒に食事もできたのにね。

と言うと、梓のぼるさんは、

東京公演はあと4日残っているわ。

と答え、話がまとまって2日後にはデートの約束をしました。

しかしその当日、賢一さんはテレビの収録が1時間も延びてしまい、約束していたNHK近くのレストランでずっと梓のぼるさんを待たせることになってしまうのです。

さすがに、もう待っていてくれないと思って走っていくと、梓のぼるさんはちゃんと待っていてくれたのでした。

一方の梓のぼるさんは、息を切らして走り込んできた賢一さんを「何て誠実な人だろう」と感じたと言います。

その後は、東京公演に出て来る梓のぼるさんと、賢一さんの友人とを混じえてグループ交際が続きました。

いつ彼女を意識し出したのかわからないんだよ。気がついてみたらそうなっていた。

と言う賢一さん。

当時、梓のぼるさんは兵庫県宝塚市の歌劇団の寮住まい。
二人の仲が深まっても、デートは思うようにいきませんでした。
その間、二人の愛をつないだのは電話だったのです。

僕は長電話なんです。1ヵ月に最高12万円もかかった時があった。あまり電話代がかかりすぎるので結婚しようと思った(笑)

と語るほど、賢一さんは梓のぼるさんにマメに電話をしていたのです。

というのも、賢一さんは「嫁いらずの賢一」と言われるほど、何事にもマメで有名な人物で知られていました。

料理は和食派で、何でも自分で作ってしまうほどの腕前。
東京公演のため梓のぼるさんが上京している時などは、家に呼んで得意の高野豆腐と煮魚をご馳走するなど徹底的にサービスしたのです。

そんな賢一さんでしたが、さずがに一人暮らしに飽きていました。

べランダと部屋に観葉植物が50鉢もあって、その世話が大変なんだ。それに仕事で朝早い時など朝食も食べたいしね。一人でいるのも好きだけど、家庭の味を求めているもう一人の自分もいたんですよ。

と胸のうちを打ち明けた賢一さん。

一方で、賢一さんのニューヨーク土産だという銀のペンダントをつけてインタビューに答えた梓のぼるさんは、

第一印象はとてもさわやかな人でした。私の見る限りはとても真面目な方ですし…結婚を前提にお付き合いをしていますが…プロポーズがあれば受けたいと思います。

と語っていたのです。

また、普段は賢一さんのことを「賢ちゃん」と呼んでいることも明かし、結婚も秒読みの段階にありました。

ただ、宝塚歌劇団に在籍中に婚約発表をするわけにもいかず、梓のぼるさんは1985年7月4日~30日の「愛あれば命は永遠に」の公演を最後に、正式に退団が決定していたのです。

また、周囲も二人の婚約・結婚には大賛成で、特に喜んだのは賢一さんの父親・金田正一さんでした。

一度、彼女に会わせてもらったけど、いい娘や。素晴らしい娘やないの。何と言っても俺の息子が選んだ嫁や。見る目があるやろ。孫の顔が1日も早く見たいよ。野球選手にするんや。

と、手放しで喜んでいたのです。

一方で、賢一さんは、

まだ、両家の親同士は会っていないので具体的な話はこれからなんです。うちは僕以上にうるさい親父もいるし難しい家庭だけど、彼女になら任せられると思います。

とも語ったのでした。

その後、宝塚を退団した梓のぼるさんは、しばらくは花嫁修業に専念し、両家の話し合いもうまくいったタイミングでゴールイン。
翌年の1986年には娘(長女)も生まれました。

また、それからも賢一さんは俳優活動を続けており、近年は嫁・梓のぼるさんと旅行番組で共演することも多くなっています。
夫婦で混浴することも多く、

こういう機会でないと女房と風呂に入れないから(笑)

と、賢一さんはコメントするなど、仲の良い夫婦関係が続いていることが感じられました。




Sponsored Links
 



ピックアップ記事

  1. 愛川ゆず季の実家は「愛媛果汁食品株式会社」!!
  2. 藤澤恵麻…一般男性との馴れ初めから結婚秘話までを公開!?
  3. おかずクラブゆいPにタトゥーが入ってるか探してみた件
  4. ディックミネ…則子(4人目の妻)との馴れ初めと結婚
  5. 鳳蘭…医師の元旦那と離婚して娘2人を引き取る?!

関連記事

  1. 1980年代

    中森明菜…盗難事件で300万円の被害にあったことがある?!

    日本を代表する女性歌手の「中森明菜」さ…

  2. 1980年代

    初代・林家三平は死に際に「謎の輪っか」を握っていた?!

    テレビ時代の申し子と謳われ、テレビが生…

  3. 1980年代

    藤田弓子…夫の河野洋との馴れ初めから結婚まで

    テレビドラマ「あしたこそ」や「三匹のおっさん」、さらに映画では「泥の河…

  4. 1980年代

    新沼謙治…嫁の湯木博恵との馴れ初めから結婚まで

    演歌歌手で俳優でもある「新沼謙治」さん。世界一に4度君臨したバドミ…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

Sponsored Links
Sponsored Links

最近の記事

  1. 山本譲二…妻の植木悦子との馴れ初めとは?!
  2. 松田聖子…デビュー5年目でも収入はとんでもなかった?!
  3. 牛島和彦…妻の光江との馴れ初めから結婚まで
  4. 八千草薫…メニエール病という病気を患ったことがある?!
  5. 具志堅用高…妻・香澄との馴れ初めから結婚まで
  6. 森繁和…妻・靖子との馴れ初めはファンレターだった?!
  7. 久米宏 …愛人が自殺未遂をして謹慎処分になったことがある?!…
  8. 倉田保昭…クラタスポーツ・スタジオを全国展開しようとしていた…
  9. ジャッキー佐藤とナンシー久美…ジャパン女子プロレスリング設立…
  10. 都はるみ…引退の理由は中村一好が関係していたのか?!
Sponsored Links

おすすめの記事

Sponsored Links

注目記事

Sponsored Links
  1. 2000年代

    西城秀樹…脳梗塞の再発や後遺症を経て
  2. 1960年代

    山本富士子が映画に出なくなった理由に衝撃?!
  3. 2000年代

    永井美奈子…旦那「堀主知・ロバート」との出会いや馴れ初めとは?
  4. 1980年代

    桑田佳祐と原由子…子供「祐宜」の出産秘話とは?!
  5. 2000年代

    Chocomoo(チョコムー)…wiki的にプロフィールを紹介!
PAGE TOP