1992年秋に冷たい雨の降りしきる深夜、車が海に転落し、乗ってい姿優・「太地喜和子」さんが水死しました。
享年48歳でした。
「喜怒哀楽の感情が全身からあふれてくる」と評れた演技力、妖艶な美貌、気さくな人柄の持ち主だった太地さんの死を多くの人が悲しんだのです。
名前:太地喜和子(たいちきわこ)
別名:志村妙子(しむらたえこ)
生年月日:1943年12月2日~1992年10月13日(享年48歳)
職業:女優
出身:東京都中野区
学歴:松蔭高等学校
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1992年10月13日の深夜2時すぎ…
伊豆・伊東港の観光桟橋で、聞き慣れない金属がこすれるような音がしました。
続いて「助けてくれ」という男性の声が…
たまたま近くにいた看護師の女性が桟橋に向います。
彼女は海中に何やら光を放つ物があるのに気づきました。
よく見ると光は海中に沈んでいく車の、ついたままのヘッドランプだったのです。
通報を受けて、伊東市消防隊がすぐに駆けつけました。
1人の男性が水浸しで桟橋に這い上がり、もう1人の男性が船の係留用ロープにつかまっていたのです。
そして、1人の和服姿の女性が海面で浮き沈みしていました。
女性は隊員にロープで引き揚げられ、意識不明ながら、脈はありました。
しかし、その女性は太地さんではありません。
隊員が海底まで潜って車の中を懐中電灯で照らしました。
太地さんは車の中でうつぶせで浮いていたのです。
引き揚げられて、人工呼吸を受けましたが、息も脈も戻りません…
脂の乗り切った48歳の大女優の死の瞬間であったのです。
苦しんだ様子もなく、穏やかな美しい死に顔だったと言います。
その前日、伊東市内で公演が行われていた「唐人お吉物語」の舞台がはねた後、太地さんは文学座の2人の後輩男優を連れ、飲みに出ました。
はしご酒となった2軒目のスナックで、ママと太地さんの出身地が同じ東京・中野ということで意気投合したのです。
太地さんが「海が見たい」と言い出し、深夜でタクシーがなかったため、スナックのママが自分の車で太地さんと2人の男優を観光埠頭へと案内しました。
そして、帰ろうとして方向転換しようとした時の運転ミスによる事故だったのです。
太地がさん泳げなかったのも不運でした。
太地さんは高校在学中に東映6期ニューフェイスに合格…
映画女優としてデビューした後、「もっと演劇の勉強をしたい」と東映を退社して、1963年に俳優座養成所に入りました。
栗原小巻さん、原田芳雄さん、夏八木勲さん、林隆三さん、地井武男さんらの後に「花の15期」と呼ばれるそうそうたるメンバーがいたのです。
1967年には文学座に入って看板女優として長い間活躍…
日本を代表する舞台女優の一人と言われて、テレビドラマや映画にも多数出演していました。
「意に沿わない仕事をするより、水すすっていた方がいい」とCMなどの仕事は断る役者一筋の人でもあったのです。
水割り20杯は軽い酒豪としても知られ、恋多き女でもありました。
20歳の頃には、21歳年上の三国連太郎さんと同棲…
「彼の血だって平気ですすることができたし、痰だって飲むことができた」という大恋愛だったのです。
その後、俳優座養成所同期の秋野太作さんと1970年に結婚し、10カ月で離婚…
数多くの大物俳優や歌舞伎役者と浮名を流しましたが、一番好きだった男性はと聞かれるたびに「やはり三国さん」と答えたと言います。
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