シンガーソングライターやタレントとして、近年は実業家としても活躍している「田中義剛」さん。
プライベートでは、1991年3月11日にモデルの舛澤佳子(ますざわけいこ)さんと結婚しています。
そんな田中さんと佳子さんの馴れ初めや結婚式とはどのようなものだったのでしょうか?
名前:田中義剛(たなかよしたけ)
生年月日:1958年3月13日(61歳)
職業:タレント、シンガーソングライター、酪農家、実業家
所属:アップフロントクリエイト
出身:青森県八戸市
学歴:酪農学園大学酪農学部
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田中義剛さん(当時32歳)と舛澤佳子さん(当時26歳)の2人が結婚式を挙げたのは1991年3月11日のことでした。
場所は札幌市内のホテルアルファ・サッポロ(現:ホテルオークラ札幌)で、挙式はホテル内神殿、披露宴はブリストルルームで160人あまりが出席して行われたのです。
札幌を選んだ理由は新婦の佳子さんが北海道の夕張郡出身であること、田中さんは青森県八戸市出身ながら当時は両親が札幌に住んでいたこと、田中さんのデビューが札幌だったことなどの理由から、この地を選びました。
当時、新婦の佳子さんは身長168センチで、モデルとして活躍…
また、スキーの腕前も1級を持っているほどのスポーツ万能な女性です。
田中さんとの馴れ初めは1985年、佳子さんが新成人の集いに出席した時に、そこで歌っていたのが田中さんだったからとされています。
ただ、実際には佳子さんの実家近くの牧場で、田中さんがぬいぐるみをかぶってギターを弾く牛のアルバイトをしているのを佳子さんが見ていたのが最初という説もありました。
さて、3月11日の午後1時から始まった披露宴では、田中さんの人柄と同様にまさにお祭り騒ぎの様相を見せます。
司会は、ばんばひろふみさんで、シメの歌は堀内孝雄さんと、まるで売れっ子芸能人の大宴会のようでもありました。
両家の親類縁者も北海道や東北から大挙集合したという感じで、かなりお酒も入ってにぎやかな結婚式だったのです。
白無垢と羽織はかま姿で入場した2人も最初は緊張の色が隠せなかったのですが、披露宴が進むにつれ、リラックスムードになっていきました。
式は、骨折で仲人をリタイアした吉幾三さんに代わって媒妁人をつとめた田中さんの所属事務所会長の挨拶から披露宴は始まり、来賓の祝辞、友人のスピーチとなごやかに進行したパーティーがどっと沸いたのは、佳子さんのおばあさんが登場した時です。
なんと、佳子さんのおばあさんが北島三郎「兄弟仁義」を歌いあげたのです。
これには田中さんも佳子さんも、まいったなーと苦笑いを浮かべていました。
田中さんはずっとニコニコしていましたが、どこか緊張で顔がひきつっていたと言います。
その田中さんの顔が本当に感激でひきつってしまったのが花束贈呈の時でした。
涙を流す佳子さんの横で、もらい泣きをこらえるのに必死の表情だったのです。
パーティーの最後には自ら挨拶に立ち、「佳子を絶対に幸せにします」と宣言した田中したのでした。
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