愛称は「マエタケ」…
1960年代、それまで台本を読み上げる形式が一般的だった放送司会に「フリートーク」、「楽屋オチ」、「世間話」といった手法を持ち込み、最盛期にはその毒舌と絶妙な話術から「フリートークの天才」と呼ばれた「前田武彦」さん。
そんなひょうひょうとした調子の名司会で人気だった前田さんの一生を決定づけた「バンザイ」事件をご存知でしょうか。
名前:前田武彦(まえだたけひこ)
生年月日:1929年4月3日~2011年8月5日(享年82歳)
職業:タレント、放送作家、司会者
所属:三桂
出身:日本東京府東京市芝(現・東京都港区)
学歴:立教大学経済学部(中退)
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騒動が起きたのは、今太閤の田中内閣が支持を落とし、革新勢力が躍進る政治状況の中でのことでした。
1973年6月17日…
青森と大阪で行われた参院補選は激戦となりました。
とりわけ2年前に黒田革新府政が誕生し、前年の総選挙で共産党が衆院の全6選挙区で議席を確保した大阪は、160人の国会議員を前日に送り込む熱の入れようでした。
インフレ退治に失敗し、国民にソッポ向かれ始めた田中内閣にとって、議席の死守は最重要課題だったのです。
その翌日、生放送の番組終了間際に”事件”は起きました。
23時ちょっと前…
フジテレビ系の人気歌番組「夜のヒットスタジオ」のエンディングテーマが流れ出した時のことでした。
突然、司会の前田武彦さんが、両手を高く上げ「バンザーイ、バンザーイ」と繰り返したのです。
出演者やスタッフ、視聴者は何のことかわからず、キョトン…
これが後に大問題となり、3カ月後、前田さんは番組から降ろされてしまいます。
バンザイは共産党に向けてでした。
翌日開票の大阪補選で、共産党の沓脱タケ子さんが当選…
1議席を争う国政選挙で共産党が自民党を破ったのは初めてのことだったのです。
そして前日応援に駆けつけていた前田さんは、沓脱タケ子さんに「当選したら月曜日の生放送中に何かやりますから」と約束していたのです。
当時の前田さんと言えば、「ゲバゲバ90分」や「笑点」の司会を務め、「夜ヒット」でも最盛期に40%を超える視聴率を叩き出した人気者…
確信犯とはいえ、党名を出したわけではありません。
局内では「数字のとれる司会者」との評価が定着しており、番組の現場は「おとがめなし」に傾いていました。
しかし、7月に事態急転します…
女性誌が前田さんの「共産党バンザイ事件」と報じ、フジテレビ社長の鹿内信隆さんの耳に入るところとなったのです。
鹿内さんは経済団体の労務担当とし労働組合つぶしに奔走した人物…
グループの産経新聞で大々的に反共キャンペーンを張ろうとしていた矢先のことでした。
事実を知った社長は激怒…
そのため前田さんの追放が決まってしまったのです。
当時、超ワンマンの鹿内さんの命令には誰も逆らえず、前田さんは9月いっぱいで降板することとなりました。
同時にコンビの芳村真理さんも降板…
「マンネリ化してきたのでイメージチェンジを図る」というのが表向きの理由でした。
前田さんにとって不幸だったのは、話がフジテレビだけで済まなかったこと…
他局の番組からも次々に降板させられ、数年にわたってテレビから姿を消したのです。
その後の前田さんですが、1980年代になって徐々にテレビに復帰…
俳優としても活動を続けていました。
しかし、2011年7月末に突如体調を崩し、8月5日に82歳で惜しまれながら他界されます。
そうして、あのマエタケ節は二度と聞けなくなったのです。
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