1994年に失言が理由で一時、芸能界を追放されたのが田原俊彦さんです。
名前:田原俊彦(たはらとしひこ)
生年月日:1961年2月28日(56歳)
職業:アイドル歌手、俳優、タレント
所属:フォーミュラミュージックエンタテインメント
出身地: 山梨県甲府市
学歴:山梨県立甲府工業高等学校卒業
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そもそもの原因はジャニーズ事務所との対立でした。
1994年2月14日、田原さんに長女が誕生…
所属レコード会社に指示された田原さん(当時32歳)は渋々、出産報告会見を開きました。
「今日はお忙しい中、マスコミ嫌いの田原俊彦のために、こうしてお暇な時間にお集まり頂きありがとうございます。この場に挑むことになり、意に反することもあるのですが、僕のエンジェルちゃんのために頑張ります。」と初っばなから喧嘩腰…
仕方なく「可南子」と名付けた紙を披露したあと、「何事も隠密にやりたかったけど、僕みたいにビッグになるとそうもいかないんだよね。」と続けたのです。
これに日頃からオレ様ぷりに怒りを感じていたマスコミは総スカン…
そのときから「オレはビッグ」…は田原さんの代名詞となったのです。
田原さんのデビューは1979年。
1980年代には、」たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)でジャニーズのトップランナーとして走り続け、騒動は過渡期の1990年代に入って起きたのですが…
それにしてもジャニーズは、ジャニーズの功労者であった田原さんをなぜ誰も守らなかったのでしょうか?
実は当時の田原さんは事務所と対立して微妙な立場にありました。
田原さんは稼ぎ頭であることでふんぞり返り、プライベートではやりたい放題…
仕事後に六本木に繰り出し、ディスコをはしご、夜ごとクラブ活動に熱中し、仕事に遅刻することもあったのです。
女性関係も派手で中山美穂さんと事務所に内緒でハワイお忍び旅行を強行し、南野陽子さんや田中美奈子さんらと浮名…
しかも中山さんの親友であった工藤静香さんにまで手を出す始末だったのです。
それでも、面倒見のいいジャニー喜多川社長は田原さんを叱りませんでした。
一方、メリー喜多川副社長は1988年の紅白辞退や目に余る恋愛遍歴など、他のタレントに示しがつかないと苦々しく思っていたのです。
けれども田原さんは写真誌の度重なるスクープを自力が無防備だからではなく、事務所からの情報ダダ漏れと思い込んで不信感を募らせていました。
入籍、妊娠、出産の事実も伝えず事務所を無視…
そのため先ほどの会見には事務所スタッフも立ち会っていません。
結局、田原さんは会見から9日後の2月26日に「3月1日にジャニーズ事務所を独立する」というFAXを流しました。
これに際してジャニー喜多川社長は「タレントは人に評価されて初めて存在が成立するものだということをしっかり胸に刻みこんでください。」と、ビッグ発言を戒めるメッセージを発表したのです。
ちなみに退社後、田原さんはジャニーズから「退職金らしきものをもらった」が 「通帳を見たらケタが違うのではないかと思った」と自著「職業=田原俊彦」で不満を露わにしています。
また2010年「SMAP×SMAP」の出演交渉で断られた経緯をブログで説明…
「たのむよジャニーーー!ユー!!!メリーに言ってよ!!!」と書いていました。
そうして騒動から17年後の2011年、今度は長女の綾乃美花さんが芸能界デビュー…
また最近では2017年2月、ユニバーサルミュージックより6月にシングル発売することを発表し、これが11年ぶりのメジャー復帰となりました。
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