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2004年アテネ、2008年北京と柔道66キロ級2大会連続金メダリストとなった「内柴正人」さん…
柔道家として、尊敬と称賛に包まれた人生が一転、拘置所暮らしとなりました。
理由は2011年12月6日、内柴さんは準強姦容疑で警視庁に逮捕されたからです。
名前:内柴正人(うちしばまさと)
生年月日:1978年6月17日(41歳)
職業:元柔道選手、格闘家・柔術家
出生地:熊本県合志市
学歴:国士舘大学体育学部卒業
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内柴正人が起こした事件(準強姦)の経緯
内柴さんは、熊本県玉名市で、妻と男女2人の子供と4人で暮らしていました。
同市にある九州看護福祉大学の客員教授であるとともに、大学の女子柔道部のコーチを務めていたのです。
内柴さんの生涯消えぬ十字架となった事件は、2011年9月19日の夜に起きました。
当時、女子柔道部員たちは、東京・八王子のシティホテルに宿泊し、合宿を行っていたのです。
その日が合宿の最終日でした。
内柴さんはホテル近くの焼肉店で男性コーチや数名の女子部員たちと酒を飲んでいました。
その後、カラオケボックスに移動…
被害者となった未成年のAさんは、一人で歩けないほど泥酔したといいます。
内柴さんはカラオケ店から、Aさんを背負うなどしてホテルまで連れて行き、部屋で性的暴行を働いたとされています。
内柴さんとAさんの2人だけのときに起きた事件なので、性的暴行があったということを、他の部員やコーチはすぐにはわからなかったといいます。
大学の関係者によると、土日を挟んで9月26日(月曜)…
大学にセクハラの報告があり、2日後の28日には、学内セクシャルハラスメント防止委員会が招集されました。
29日から同委員会の「調査委員会」が調査に乗り出します。
11月半ばに情報収集が一応できたため、本人を呼びながら「懲戒委員会」を作りました。
そして11月29日の午前中、内柴さんを懲戒解雇処分にし、大学側が記者会見を開いたのです。
内柴さんは「合意の上だった」と言い訳をしたそうですが、合意の上でも未成年者に酒を飲ませて関係を持つというのは、教職者としてのモラルに欠け、不適格…
それが処分の理由でした。
この一連の動きを察知し、事件をスクープしたのは「週刊ポスト」…
「破綻前夜」というワイド特集の記事に、「女子学生への重大セクハラ」という見出しが躍ったのです。
また週刊ポストには内柴さんを直撃した際のやり取りも書かれていました。
「未成年者に酒を飲ませ、性行為に及んだことに対して、被害者が刑事告訴するという話も出ているが」と記者が尋ねると、「そうなんですか?誰から聞いたんですか?」と話す内柴さんの目が泳いだといいます。
さらに、「柔道界から追放される」という話も出ていると指摘すると、「ハアッ!?どうして追放されなければいけないんですか?」と、今度は呆れたように答えました。
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内柴正人と被害者との関係
一方の被害者のAさんとは、どのような女性だったのでしょうか?
マスコミ各社は、懸命になって追っていました。
「フライデー」はAさんのミクシィの顔写真と、プリクラ写真を目線入りで報じています。
それによるとAさんは関西出身だといいます。
Aさんは父をはじめ、兄、姉と家族揃って柔道経験者という環境で育ち、Aさんも保育園の頃から柔道にのめり込んだ、いわば柔道エリートでした。
全国中学校体育大会京都府大会では優勝を飾っています。
さらに奈良県の全国的に有名なスポーツ名門校へ進学したAさんは、高校2年のときインターハイに出場しました。
一方の内柴さんが勤めていた九看大は創立14年の新しい大学です。
2010年3月、3号館に真新しい大きな柔道場が完成したのをきっかけに、内柴さんが女子柔道部コーチとして招聘されました。
完成したキャンパス3号館は、地上3階建てで、延床面積4411平方メートル…
1階には最新設備のトレーニングルームがあり、2階部分に3階まで吹き抜けの観覧席がある柔道場が設けられているといいます。
当日の竣工式には、柔道部コーチの内柴さん、来賓として出席したアテネ五輪金メダリストの鈴木桂治さん、世界ランキング1位の小野卓志さん、シドニー五輪銅メダリストの日下部基栄さんによる、柔道模範演技も行われました。
3号館の完成と同時に、九看大には「鍼灸スポーツ学科」と「口腔保健学科」の2つの学科が新設されます。
そしてスポーツ関係の学科を開設するため、スポーツ部を強化しようということになり、女子柔道部をつくったのです。
内柴さんは2009年4月から常駐しない非常勤講師として、時々、大学に顔を出していましたが、2011年1月1日、客員教授として正式に採用されました。
そんな中、2011年9月に柔道部に一人、きゃしゃでかわいい子がいて、その子が被害にあったんじゃないか?…
という噂が広まり始めたのです。
最初はいろんな噂が出ていて、セクハラだけじゃなく、殴ったというような噂もありました。
女子柔道部は事件発生当時、創部2年目であったため、部員は1年生と2年生ばかり…
2年生で4~5人、1年生で2人ほど、柔道部をやめていったといいます。
また、事件が起きて辞めていった人の中にも、ひょっとすると被害にあった人がいたのではないかと、学生たちの間で噂になりました。
2011年12月27日には東京地検は内柴さんを起訴…
内柴さんは、「合意の上だった」とまったく反省のそぶりを見せず、保釈申請をしましたが、東京地裁は同29日、申請を却下しています。
公判前整理手続きに入りましたが、内柴さんは2012年3月28日、2回目の保釈申請を行いました。
しかし、東京地裁は2日後、再び保釈申請を却下しています。
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