1980年代

杉山清貴…元嫁・柳沢裕子との馴れ初めから結婚まで




 

「君のハートはマリンブルー」や「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」、「サイレンスがいっぱい」などのヒット曲で知られる歌手でシンガーソングライターの「杉山清貴」さん。
そんな杉山さんが電撃的な結婚発表をしたのは、1985年6月のことでした。

1985年6月、オメガトライブのファンにとってはショッキングな発表が、「ザ・トップテン」(日本テレビ系)で流れました。

この番組に出演していたオメガトライブのリーダー杉山清貴さん(当時25歳)が、司会の堺正章さんの質問に答え、衝撃的な発言をしたからです。

堺さんが、「結婚の噂が出てるけど、本当なの?」と尋ねると、杉山さんは、「ええ、今月の26日に東京の教会で挙式します!」と生中継の放送でこう発言したのでした。

当時のオメガトライブと言えば、「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」と、新曲の「サイレンスがいっぱい」の2曲が、同時にヒットチャートのベストテン入りするほど勢いのあるグループだったのです。

忙しいスケジュールを縫うようにして、杉山さんはこの生放送で衝撃的な発言を残し、その夜にはメンバーたちとハワイへ旅立って行きました。

杉山さんの結婚相手は、「柳沢裕子」さん(当時26歳)という元歌手の女性です。
二人の出会いは、電撃的な発表からさかのぼること5年前の1980年ことでした。

オメガトライブは、この頃まだ横浜を中心に活躍する「きゅうてぃぱんちょす」(杉山清貴&オメガトライブの前身)というアマチェアバンドでした。

「きゅうてぃぱんちょす」は、この年に行われた第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場し、「GOSPELの夜」で入賞したのです。

多くのアマチェアの参加するこのコンテストには、他にも「明日変(アスペン)」という名のバンドも出場していました。
「明日変」も杉山さんらの「きゅうてぃぱんちょす」と共に入賞を果たしたのです。

アスペンには、バックコーラスを務めていた女性がいました。
その中の一人が、柳沢裕子さんだったのです。

コンテストの後の打ち上げパーティーで、杉山さんと裕子さんは知り合いました。

最初は「美しい人だな」と思いました。話をすると、とても感じが良かった。

これが杉山さんの裕子さんに対する第一印象です。

この年の11月、「アスペン」はプロとしてデビュー。
裕子さんも7人メンバーの一人として活躍しましたが、後にこのグループは解散し、裕子さんは地元の群馬県高崎市に帰郷しました。

一方、杉山さんらは、メジャーデビューのオファーを受けながらも、オリジナル楽曲の完成度に納得できず、この時はまだデビューを果たせずにいたのです。

その後「きゅうてぃぱんちょす」が、「杉山清貴&オメガトライブ」と名前を変えて「SUMMER SUSPICION」でレコードデビューするのは、1983年のことでした。

杉山さんと裕子さんの出会いから3年、この間は二人の間には何の関係もなかったようですが、オメガトライブのデビューを知った裕子さんは、この年に再び上京して、商社のOLとして働き出します。

オメガトライブは、この年の東京音楽祭の国内大会でゴールデンアップル賞を受賞するなど、その実力を認められ始めていました。

僕が彼女に電話をかけて会ってもらったんです。ポプコンの会場で出会った時の印象と変わらなかったのが嬉しかったですね。

と語る杉山さん。
3年の空白の後に巡り合った裕子さんに強く惹かれるものを感じたと言います。

裕子さんは当時、渋谷に住んでおり、杉山さんは横浜に住んでいました。
たまの休日に海の見えるレストランでデートを重ね、メンバーにも紹介していたのです。

こうして杉山さんは、徐々に裕子さんとの結婚を本格的に考えるようになります。

結婚するならこの子だという意識はありましたが、決意したのは今年に入ってからなんです。

と、挙式を前に独身最後の休暇をハワイで過ごしていた杉山さんは語っています。

ただ、この電撃的な結婚宣言は何も杉山さんの思い付きではなく、実はその前に一部、週刊誌で二人の交際をすっぱ抜かれていたこともあり、杉山家と柳沢家が会って、正式に話し合っていたのです。

そうして決まった日取りが、6月26日でした。

変に報道されるより、二人の仲を正式に確認し合った方が良いと思って、挙式の日取りまで決めたんです。

と語る杉山さん。

一部では神田正輝さんと松田聖子さんの挙式の日でもある6月24日では?という噂も出ていました。
マスコミが神田さん・聖子さんの方に殺到すれば、混乱が避けられるとの考えで出た噂でしたが、実際には違っていました。

6月26日、二人の挙式は、世田谷区三軒一茶屋にあるカトリック教会で行われました。
これは杉山さん自身がミッション系の高校に通っていた関係から決まったものです。

杉山さんは、

ずっと会って来ても、理知的な印象の変わることはなかったんです。話しても楽しいし、きっと良妻賢母になってくれると思います。

子供は天からの授かりものですからね。ただ早く欲しいと思っています。僕は予供が好きですからね。

新居は、今僕が住んでいる横浜の2DKのマンションです。その部屋から海が見えないのが残念ですが、 ま、そのうち引っ越すつもりでいます。

と挙式前にコメントしています。

出会いから5年間の愛が実を結んだのでした。
結婚の翌年には、娘の真浦(まほ)さんが誕生し、家族3人でハワイに移住し、オアフ島のハワイカイという高級住宅地での生活をスタートさせています。

杉山さんは音楽活動をハワイと日本、レコーディングはロサンゼルスで行い、アメリカ永住権を獲得するなど、家族は順風満帆に思われました。

しかし、その後二人は離婚。
杉山さんは日本に戻り、元嫁の裕子さんと娘の真浦さんはアメリカ本土で暮らすことになったのです。




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