2019年1月15日放送の「マツコの知らない世界」(TBSテレビ)にて、世界に2人しかいないという観覧車研究家の「福井優子」さんが紹介されます。
観覧車研究家という今まで聞いたこともない肩書きですが、この福井さんとはどのような人物なのでしょうか?
大阪府大阪市に生まれた福井優子さん。
大谷短期大学英語科を卒業した後は、伊藤忠商事株式会社に入社しました。
その後、1974年には共同通信社に転職し、共同通信社で編集庶務を担当していた福井さんは、短大時代にも専攻していた英語を磨き続け、1991年には全国実業団英語弁論大会で3位入賞するまでの実力になっていました。
また、英語によるスピーチクラブ、東京トーストマスターズ(日本最初のトーストマスターズクラブ)の元プレジデントという称号も持っているのです。
そんな福井さんが今のように観覧車と向き合うことになったのが、意外にも20年ほど前に語学留学していたアメリカの大学でした。
たまたま、アメリカの大学で観覧車の歴史研究に取り組んでいる退官教授と出会い、その教授に勧められて、日本の観覧車について調べ始めたのがきっかけだったのです。
そうして日本の観覧車を調べ始めた福井さんは、驚くべき発見をしてしまうのです。
実はこれまで、日本最初の観覧車と言えば、1907年(明治40年)の東京勧業博覧会場に設置されたものであるとされてきました。
しかし、その前年に日露戦争の勝利を祝って開かれた大阪戦捷博覧会場に観覧車が登場していたことを福井さん発見したのです。
当時は観覧車ではなく、「tenbosenka isha(展望旋回車)」の呼び名だったのですが、確かに1906年(明治39年)に初めて日本に登場したことが明らかになったのです。
また、1940年(昭和15年)に開かれた名古屋汎太平洋博覧会場に建設された観覧車が、国産観覧車の第1号であることなども調査の末、調べてあげています。
これらをきっかけとして、福井さんは観覧車にのめり込みました。
歴史的な資料や全国にどれだけ稼働している観覧車があるのかなどを調べ上げ、自身のブログ「観覧車通信」(福井さんは日本支局長)などで公開しているのです。
また、「観覧車物語」(平凡社)、「ニッポンの観覧車」(イカロス出版)、「たくさんのふしぎ―観覧車をたずねて」(福音館書店)、「観覧車の時代」(「建築設備&昇降機」連載)など、観覧車に関する多くの著書を出版するまでになりました。
1月15日放送の「マツコの知らない世界」で福井さんは、「乗らなくても楽しめる観覧車」や「全国で“街のシンボル”として地元民に愛される哀愁漂う観覧車」などを紹介されるそうです。
自他ともに認める日本の観覧車の第一人者の話を楽しみにしていたいと思います。
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