株式会社石原プロモーションの相談取締役で、俳優で歌手の「渡哲也」さん。
そんな渡さんは1989年3月に、渡さんが社長となって初となる石原プロ制作作品「ゴリラ・警視庁捜査第8班」の第5話を撮影中に全治1カ月半の重傷を負ったことがありました。
名前:渡哲也(わたりてつや)
本名:渡瀬道彦(わたせみちひこ)
生年月日:1941年12月28日(77歳)
職業:俳優・歌手
出身:兵庫県淡路島
学歴:青山学院大学経済学部
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事故は1989年4月2日からスタートする「ゴリラ・警視庁捜査第8班」(テレビ朝日系)のロケ中に起こりました。
3月12日の午後3時、場所は神奈川県の相模湖(さがみこ)です。
第5話のラストシーンの撮影も順調に進み、犯人たちが運転するタンクローリーを爆破、少女をヘリコプターで救出するという場面で、渡哲也さんはヘリコプターから降りて全力疾走するのです。
そして、3度のリハーサルを終えて、本番に入った時でした。
着地した時、左足に「ガーンとバットで殴られたような激痛が走った」という渡さん。
しかし、歩けない状態ではなかったため、第5話を全て撮り終えて帰宅したのです。
渡さんは、捻挫(ねんざ)くらいのものと考えていたのですが、左足の痛みは増すばかり…
翌13日に病院で診察を受けたところ、全治1カ月半の「腓腹筋断裂(ひふくきんだんれつ)」と判明しました。
アキレス腱の上部にある大きな筋肉が裂けたもので、治療はギブスをはめて約3週間固定し、筋肉がまとまったところで、再度ギブスをはめ直して約3週間、その後さらに約1週間のリハビリを要するという病状だったのです。
「這(は)ってでも撮影に参加したい」という渡さんの言葉通り、14日には東京都調布市の日活撮影所に渡さんは姿を見せました。
12時過ぎ、集まった報道陣の「大丈夫ですか?」の質問に、「ええ、大丈夫です。面目ない」とテレ笑いを浮かべてはいた渡さん。
両わきには松葉杖(まつばづえ)、左足にはギブスがはめられていました。
共演している神田正輝さんも渡さんの突然の事故に青ざめた表情で、「本当に心配です。僕らの仕事ってケガと背中合わせなんです。僕もフィリピンロケからのケガがまだ尾を引いてますし。班長(渡さん)にはしばらく養生してもらって、現場は僕ら若い者に任せて欲しいと思います」とコメントしたのです。
「ゴリラ」のセットに入った渡さんは、座ってイスに足を投げ出すか、机の下に毛布をしいて足をかばったりと相当に辛そうな様子だったと言います。
「12日のロケで、痛いのを我慢しながらやったのがいけなかったみたいです。それが原因で裂けてしまったと医者に言われまして…」
と、無理して明るく振る舞っていました。
当面の渡さんのスケジュールはびっしり詰まっていたのですが、脚本家と検討した上で、班長(渡さん)が犯人に撃たれて、足を負傷するような設定になるという話も出ていました。
「穴はあけられませんよ。自分が痛いのはいいけど、役者やスタッフがのってきたのに、迷惑をかけて本当に申し訳ないと思います」
と、あくまで周りに気を遣う渡さん。
「アクションとケガは紙一重ですよ。やるっきゃありません」
と語りました。
けれどもその後、このケガが原因で、足をひきずって歩く後遺症が残ることになります。
翌年の放映された時代劇スペシャル「大激闘!四匹の用心棒」(テレビ朝日・東映)では、足を引きずって歩く主人公の浪人「かかしの半兵衛(金子半兵衛役)」を演じました。
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