2019年3月5日に開かれた「元号に関する懇談会」の有識者委員の一人。
新元号「令和」の選出に関わったのが、元ニュースキャスターの「宮崎緑」さんでした。
そんな宮崎さんが弁護士の椿康雄結婚したのは1988年のこと。
しかし、その3年後には離婚しています。
果たして、宮崎さんと椿さんの間には何があったのでしょうか。
名前:宮崎緑(みやざきみどり)
生年月日:1958年1月15日(61歳)
職業:元ニュースキャスター、ジャーナリスト、国際政治学者、国際政策学者
出身:神奈川県鎌倉市
学歴:慶應義塾大学法学部
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才色兼備のキャスターとして人気を博した宮崎緑さんが結婚4年目で破局を迎えたの1991年のことでした。
宮崎さんと言えば一般視聴者はもちろん、政財界の大物たちの間でも、ファンクラブができるほどの人気ぶりだったのです。
そんな宮崎さん(当時30歳)が、東大卒の弁護士・椿康雄さん(当時35歳)と華やかな結婚式を挙げたのは1988年の3月13日のことでした。
慶應義塾大学法学部卒の才女キャスターと、東京大学出身の弁護士というエリート同士の結婚は大いにマスコミを賑わせたのです。
結婚式はホテルオークラで行われ、340人もの人が集まりました。
また、当時の内閣総理大臣・竹下登さんからも祝電が届いたほどだったのです。
馴れ初めは、椿さんの師にあたる先輩弁護士が二人を引き合わせたとのことで、出会いからわずか6カ月の交際で、電撃結婚に至りました。
結婚当初は東京・大田区の田園調布の高級マンションでの暮らし、翌1989年には長男の「翔太郎くん」が誕生します。
家族が増えたのを機に、宮崎さんの鎌倉の実家に親子3人で移り住みました。
その後、幸せな家庭生活を送っていると思われていたのですが、実は1990年頃から夫婦の関係がギクシャクしだし、夫の椿さんが家を出て別居生活に入っていたのです。
そして、1991年5月には離婚届が出されていたことが明らかになりました。
誰もが羨(うらや)むほどの理想的なカップルと見られていた夫婦に一体何が起こったのでしょうか。
この理由に関して、当時、宮崎さんも椿さんも多くを語ることはありませんでした。
二人の仲をとりもった先輩弁護士も、「性格の不一致ということでしょう」と答えるばかりで、それ以上の詳しい事情については語らなかったのです。
しかしその後、宮崎さんは椿さんに対して、「非常に嘘の多い人だった」と離婚の理由を明らかにしています。
それ裏付けるかのように、元夫の椿さんは2016年8月2日、証券取引法違反(現在の金融商品取引法、相場操縦)違反容疑で逮捕され、第一東京弁護士会からも懲戒処分を受けました。
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