10代の頃からモデルとして活動し、映画「金田一耕助の冒険」(1979年)で女優として映画デビューを果たし、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した「松田美由紀」さん。
あの日本を代表する名俳優、故・松田優作さんの妻としても知られています。
そんな美由紀さんですが、実は過去に自らが起こした自動車事故で多額の賠償金を払うことになったことがありました。
名前:松田美由紀(まつだみゆき)
旧姓:熊谷美由紀(くまがいみゆき)
生年月日:1961年10月6日(57歳)
職業:女優、写真家
所属:オフィス作
出身:東京都
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故· 松田優作さんの妻・松田美由紀さん(当時29歳)が、東京・練馬区関町の青梅街道で、ワゴン車を運転中に人身事故を起こしたのは1991年8月9日のことでした。
下り車線の一番端から、上り車線にUターンしようとした美由紀さんのワゴン車に、すぐ後から来た2台のバイクが衝突…
乗っていた3人(一人乗りと二人乗り)の男性のうち、1人は左腎臓破裂の重症、残りの2人は軽傷を負ったのです。
Uターン禁止の道路だっため、美由紀さんの完全なる過失でした。
ワゴン車に同乗していた3人の子供たち(長男・松田龍平さん、次男・松田翔太さん、長女・ゆう姫さん)もガラスの破片で頭を切るなどのケガをしたのです。
事故直後はショックで茫然自失(ぼうぜんじしつ)だったという美由紀ですが、 約1ヵ月後の9月5日に、謝罪を兼ねた釈明記者会見を開きました。
まず、事故については、
そこがUターン禁止区域だったことも、オートバイが走って来たことにも気がつきませんでした。私の不注意からこんな事故を起こして申し訳ありませんでした。
と、青ざめた表情で頭を下げたのです。
また、事故当日に運転していたワゴン車は、故・松田優作さんが美由紀さんと子供たちを乗せて温泉地などに旅行した8人乗りのワンボックスカーでした。
優作さんが亡くなった後は、美由紀さんも「運転に慣れてから」と、しばらくは乗っていなかったと言います。
皮肉にも、そんな思い出の愛車で事故を起こしてしまいました。
この事故を優作さんの霊前に報告したことを涙ながらに語った美由紀さん。
また、当時は被害者への補償問題に関しても注目されていました。
美由紀さんは義務づけられた自賠責保険(強制保険)の他に、任意に入る自動車保険に加入していなかったのです。
会見に同席した大沢孝征弁護士は、
今後、被害者の後遺症の様子を半年間は見なければ補償額は出ません。先方と訴訟沙汰になれば、自宅を含めた財産の差し押さえに至る可能性はありますが、補償問題でこじれていることはありません。
と、説明しました。
優作さんが自ら設計に加わり、子供たちとの思い出も深い自宅を手放すことになるのかと、この保障問題に関しても話題になったのです。
ただ、この件に関して美由紀さんは、
同情をしてくださる方もいて、全てを失うことはないと思います。
と、やんわり否定。
そして、
裸になってもう一度やり直したい。もし許されるなら、仕事に復帰して自分の力が及ぶ限り補償していきたいと思ってます。
と、語ったのでした。
後に巨額の賠償金を負担したと言われた美由紀さんも、どうやら自宅を手放すことなく被害者への補償を済ませたようです。
近年では女優業だけでなく、短編映像の監督をしたり、自著エッセイ集の朗読会をしたりと多方面で活躍している美由紀さん。
その他にも、環境問題や発展途上国の孤児たちへの支援、自殺防止問題や、エネルギーシフトなど平和活動にも積極的に取り組んでいるのだと言います。
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