1980年代

山下泰裕…引退会見で「結婚願望」を語る?!




 

世界選手権で4度、1984年のロサンゼルスオリンピックでも金メダルに輝いた柔道家の「山下泰裕」さん。
国民栄誉賞も受賞した山下さんが引退を発表したのは、1985年6月17日のことでした。

引き分け含む203連勝、また対外国人選手には生涯無敗という大記録を打ち立てた無敵の王者の引退式だったのです。

名前:山下泰裕(やましたやすひろ)
生年月日:1957年6月1日(62歳)
職業:柔道家
出身:熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)
学歴:東海大学大学院体育学研究科博士課程修了




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1985年6月17日、東京都の霞ヶ関ビル内にある東海大校友会館で正式引退発表をした山下泰裕さん(当時28歳)は、王者の風格の中に一抹の寂しさを漂わせていました。
当時、現役引退の声が急に山下さんの周囲で囁(ささや)かれていましたが、山下さんに引退を決意させたものは何だったのでしょうか。

この年の4月には、山下さんが1977年に史上最年少の19歳で制覇した全日本選選手権のタイトルを9年連続で獲得していました。
決勝の斎藤仁さん(五段)との戦いには勝ったものの、山下さんの力の衰えは誰の目にも明らかだったのです。

「昨年の12月頃までは、まだやれると思っていたんです。ところが今年の選手権の調整に入った1~3月頃、自分の肉体的な衰えがハッキリわかりました。1回戦か2回戦で負けるかもしれないとさえ思ったんです。

とコメントした山下さん。
山下さんの強さを支えたものは彼の強い精神力だったのですが、その精神力にもかげりが見え始めていたと言います。

国内の試合で自分が負けても「山下が負けた」で済みますが、国際試合で負けると「日本が負けた」と言われます。だから私はそれを励みにもして来たし、負けないことを誇りにして来ました。私はよく度胸がいいと言われましたが、本当は神経質なんです。国際試合では、控え室から逃げ出したくなることもありました。そんなプレッシャーから、国際試合はオリンピックを最後にしたい気持ちがあったんです。

と語った山下さん。

1979年(パリ)、1981年(オランダ・マーストリヒト)、1983年(モスクワ)の世界選手権の優勝と、1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した王者・山下さんは巨大なプレッシャーと共に戦い続けて来たのです。

そして、引退年となった1985年9月に韓国ソウルで行われる世界選手権を前に、はっきりと自らの限界を悟ったのです。
柔道だけに青春を燃やした山下さんは、最高の思い出となる試合のことを尋ねられて、1977年の全日本選手権だと答えて涙ぐみました。

19才の怪童・山下さんは、それ以来、天下無敵の強さを誇って来ました。
モスクワオリンピックのボイコットで、出場を断念する悔しさも味わっています。

1ヵ月前の5月半ば、熊本県の実家でじっくり考えた末に引逃を決意し、6月に入って東海大の松前総長、佐藤宣践監督らと相談し、最終的に決まったと言います。

この1年前の10月に最愛の祖父・秦蔵さんを亡くしたことも山下さんの気持ちを弱くしたのかもしれません。
秦蔵さんが亡くなった日、山下さんは国民栄誉賞を受け、秦蔵さんの霊前で号泣したのでした。

引退発表のこの日の朝、山下さんは家に飾ってある泰蔵さんの写真に向かってこう言いました。

今日、現役引退を発表するけど、これからも頑張ります…

引退後については聞かれた山下さんは、

世界に通用する選手をを育てたい。いい時期が来たら1年間くらい海外へ出て勉強したいと思っています。

とコメントしました。

そして、結婚について尋ねられると、巨体を恥ずかしそうに縮めながら、

正直言って、今まで1、2回はお見合いの話もありましたが進展はしていません。引退問題に関して、色々な噂が先行して報道されました。結婚問題でも同じ事態が起きて、本当に結婚までたどりつけるかどうか、ちょっと心配したりもしています(笑)理想の人は、あまりハシャギすぎず、1歩下がって男性を支えてくれる人ですね。そんな人が現われたら、僕も若くはないんだから、おのずと時期は決まってくると思います。現在、全くアテはありませんが…

とも語ったのです。

怪我が完治しなかったこともあり、28歳という若さで引退を決意した山下さん。
日本だけでなく、世界にもその強さと人柄を愛された王者の引退はこうして幕を閉じました。




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