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2016年に逮捕された清原容疑者が薬物を始めたきっかけとされるのが、元巨人時代のチームメイトであり、同じく覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された「野村貴仁」氏だと言われています。
そんな薬物に人生を翻弄されてしまった元プロ野球選手の2人は、メールでこんなやり取りを行っていました。
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野村貴仁と清原 巨人時代のメール内容
2001年11月13日
清原「金を用意するまで2、3日かかると思うので用意できたら、
連絡しますいつもすまんな!」2001年11月22日
清原「24日までに欲しいのでよろしくお願いします。
いつも無理言ってごめん連絡ください。」清原「24日までになんとかお願いします。」
週刊誌などではX氏とされている野村貴仁氏が、
2001年の巨人時代に行っていた清原氏との、
グリーニー(アンフェタミン系興奮剤)に関するメールのやり取りです。
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清原とメールする元巨人の野村貴仁とは?
名前:野村貴仁(のむらたかひと) ※00年~01年まで登録名は「野村空生」
生年月日:1969年1月10日(47歳)
職業:元プロ野球選手(投手・プロ入り)
プロ入り:1990年オリックス・ブルーウェーブドラフト3位
出身:高知県高知市
そもそも野村氏と清原氏の出会いは、野村氏が1998年に巨人に移籍されたことに始まります。
オリックス時代の野村氏は防御率0.98をマークするなど、リーグ優勝や日本一にも貢献して名投手でした。
しかし、その後のオリックス球団との年俸交渉で、パリーグ初の参稼報酬調停に発展するほど大きくこじれ、それからしばらくして長嶋監督の左腕が欲しいという意向もあり、巨人に移籍する事となったのです。
野村氏は勝利こそ上げる事もありましたが、成績が低迷して2001年のシーズン終了と共に巨人を退団…
その後はメジャーリーグに挑戦するも結果を残せずマイナーリーグ降格、シーズンオフに解雇されてしまいます。
それからは2003年に日本ハムファイターズや、2004年には台湾の誠泰コブラズに所属した後、ひっそりと現役を引退したのです。
そして引退後の2006年10月31日、野村氏は地元である高知市内にて今回の清原氏同様、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され、有罪判決を受ける事になります。
また、この裁判の公判の供述では、野村氏はオリックス時代に共に在籍していた外国人選手からグリーニーをすすめられた事、同僚選手にも分け与えながら、自身も服用を続けていた事などを証言したのです。
そして野村氏とのメールのやり取りからも、清原氏がグリーニーを分け与えていた(販売していた)一人であるとされたのです。
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元巨人同士の野村貴仁と清原の関係
冒頭のメールのやり取りから巨人で活躍していた2人は、グリーニーのやり取りで清原氏と密な関係であった事が分かります。
ちなみに清原氏の方が野村氏よりも年上で、プロの世界に入ったのも、巨人にいたのも清原氏の方が先です。
どんな相手でも堂々として年上が相手であろうとも、只ならぬ威圧感を放つ清原氏がどこからどう見ても後輩の野村氏に、懇願しているように見て取れます。
つまり、それほど当時から清原氏にとって、グリーニーはプライドを捨てても必要不可欠なものになっていた事が分かります。
薬物によって人生を滅ぼしてしまった2人の名選手…
もし薬物に手を染めていなければ、もっと大きな記録や結果を出せていたかも知れないと思うと、やり切れない気持ちになってしまいます。
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